アーカイブド・エッセイ
2003年8月6日〜2004年7月10日
ここをクリックするとこのページの最初に戻ります
頑張らなあきまへんがな
<内容に即して関西弁で書きました。関西弁が嫌いな方にはお詫び申し上げます>
ここんとこ、大阪がなんや知らんけどシネェーっとしてませんか? もうちょっと元気になってもらわんと、どもならんと思てるんですけど、読者の皆さんはどう思わはります? 私は広島で生まれて直ぐに関西へ引っ越して、そのまま26歳までずぅっと関西で暮らしました。幼稚園の頃は兵庫県の甲子園球場のすぐ近く、それも球場内のどよめきが聞こえるほど近くに住んでて、大学時分は京都にいましたけど、その他はずぅっと大阪府にいてたんです。せやし、大阪が腑抜けになってしもたら困るんですわ。何や知らんけど、自分まで腹から力が抜けたような気がするんですなぁ、これが。
私、プロ野球には全然興味ないんですけど、近鉄バッファローズとオリックスの合併問題は気になります。しかも、合併と言えば聞こえはええんですが、実際は近鉄バッファローズがオリックスに吸収されるいうことらしいんですわ。そらアカンでしょ。バッファローズはホークスが九州に身売りされてから大阪唯一のプロ野球球団やったんですよ。それがなくなったらあきまへんがな。そうでっしゃろ? プロ野球に興味ない私がそう思うんやから、プロ野球ファンにとっては尚更のことでしょう。近鉄さん、考えなおしませんか?ほんま、頼んまっせ。
てな具合に近鉄さんに声を掛けてもしゃぁないことなんかもしれまへんなぁ。最近のニュースを見てると、どうもこの球団合併問題は周到に仕組まれた茶番劇みたいやからですわ。最終的な目標はパ−リーグの解体、ということは、1リーグ制への移行で、その言い出しっぺを近鉄さんが引き受けたんでしょう。そうでなかったら、あんた、「球団買い取ります」て名乗り出た資産500億円以上のお金持ちと交渉もせぇへんなんてこと考えられまへんがな。しかも、球団買収の話が出た途端に、それを無意味なことやと言わんばかりに、「実はもう一つ合併話がありますのや」なんて言い出してからに。見え見えやありませんかいな。
まぁ、実のところはそういうことらしいとは思うんですが、やっぱり言い出しっぺ役の近鉄さんには一言いうとかなあきまへんなぁ。なんでて、そら、あんた、近鉄さんが大阪にダメージ与えるんはこれで二回目になるからですわ。覚えてはりませんか? OSK日本歌劇団の解散問題のことですがな。私、プロ野球同様にレヴュー公演にも全然興味ありません。自慢やないけど、宝塚もOSKも見たことありませんねん。せやけど、80年の伝統をあっさり潰すいうのんは暴挙でっせ。そら、商売なんやから、儲からなんだら潰されても文句は言えへんいう考え方もありますやろ。けど、あんた、商売させてもろてる地元に恩返しするいうのも、大阪の商売人の心意気やないんでしょうかねぇ。幸い、OSKの場合は「存続の会」と市民協賛者が踏ん張って再出発を果たしたからよかったんですけどね。そうでなかったら、あんた、近鉄の経営陣を呪うて丑三つ時に五寸釘打ち込むOSKファンの一人や二人はいてましたで。バッファローズの場合やと・・・そやねぇ・・・五、六人は確実ちゃいますか?
てなこと言うてたら思い付いたんやけど、バッファローズにも「存続の会」作ったらどないでっしゃろか。オーナー会議の陰謀を潰す力としては庶民の熱い情熱しか考えられませんからねぇ。そら、歌劇団よりはもっと仰山の金がかかるし難しいけど、協賛者をようけぇ集めたらええんですわ。プロ野球には広島カープいう市民球団の先例もあることですから、不可能ではないと思うんですよ、私は。それに、アイスホッケーとかでもクラブチームとして存続させた成功例があるでしょう? とは言うたものの、今の大阪人の様子を見てるとちょっとトーンが落ちてしまいますなぁ。そらそうですわ、それほど地元球団に熱を入れる人が多かったら、球場に閑古鳥が鳴いて赤字になんかなってないかもしれまへんさかいにな。「存続の会」作っても協賛者はそれほど集まらへんのとちゃうかいなて思てしまいますがな。
実際のとこ、近鉄さんやその他のプロ野球球団のオーナー連中ばっかり責めてもしゃぁないのんかもしれません。総体としての大阪人の力が抜けてしもてることが問題なんやと思います(わざわざ但し書きでしつこうに言うときますけど、近鉄さんの立て続けの仕打ちとオーナー会議の無茶苦茶な横暴を忘れてしまう訳やないんで念のため。) いえね、みぃーんな東京に持っていかれて、大阪が空っぽになってしもとるみたいな感じがするんですわ。私の思い込みとちゃいまっせ。本拠地は大阪やのに本社は東京に持って行ったり、本社は大阪に残したぁるけど実質的な本社機能は東京支社にあって社長も東京に入り浸りなんちゅう会社ばっかりですねや。せやし、大阪証券取引所の取扱高なんて、あんさん、東京に較べたら欠片(かけら)ほどもない有様でんがな。あおりを食うのは下っ端の勤め人とか中小企業とか零細サービス業者ですわなぁ。仕事はガタ減りやし失業率は高いし、そんな状況では当たり前やけど、カネはちょっとも動かへん。八方塞っちゅうのんはこのことかいなてつくづく思います。漁夫の利いうんですか、名古屋辺りではホクホクしてるお人がいてはるらしいですけど、八つ当たりしてもしゃぁないことですしねぇ。
それで、私思うんですけど、ケチの付き始めはアレちゃいますか? アレでんがな。府知事のワイセツ事件ですがな。昔のことで詳しゅうは覚えてまへんけど、なんや選挙運動の宣伝カーの鶯嬢かなんかやってたお嬢さんにベタベタ触ったとかどうとかでえらい騒ぎでしたわ。他に触るもんがなかったんでしょうかねぇ。私やったら、そうやねぇ、他にすることなかったら宣伝カーを自分で運転して、おもいっきりハンドル(ステアリング・ホイールのことです)弄り回しますけど・・・なんでて、そら、小(ちい)こい車の運転なんて面白(おも)ろいことありませんけど、大型車の運転やったら面白(おも)ろいからですがな。運転席は高いし、馬力はあるし、気分が宜しいでぇ(大気汚染の原因になるのは困りもんですけどね。)まぁ、当時の知事さんは趣味がちょっとばっかり私らとは違(ちご)たんでしょうなぁ。
その話が出るとついでに思い出すんですけど、その後の女知事さん、大相撲の大阪場所の表彰式で土俵に上りたいて無理言うてからに。可哀相に、相撲協会の理事長さん大汗かいてましたがな。なんぼセクハラ事件の後やから言うても、無理な男女平等を押し付けたらあきまへん。漁船に女性を乗せへんとか、土俵に女性を上げへんというのはセクハラとちゃいます。民俗宗教の一つの“有り様(ありよう)”なんです。船魂様とか土俵の神様(名前は知りませんけど)が嫌やて言うてはるんです。ノミノスクネとタイマノケハヤかて渋い顔しまっせ。特に、ノミノスクネいうたらあの菅原道真のご先祖さんでっさかいに、祟られたら怖いことになりまっせ。やっぱ、神様のいうことは聞いといたらええんとちゃいますか?
それに、全国には男が近づいたらアカン聖地も仰山あるんですヨ。民俗宗教では、男女差別やのうて男女区別がはっきりしてることが多いことを理解せなあきまへん。神さん拝む人を巫覡(ふげき)とか言いますけど、その昔(ちょっとやそっとやのうて上代に当たる昔です)には、女の巫(めかんなぎ)と男の覡(おかんなぎ)では天地ほども違いがあったことを考えると、土俵に上がられへんことぐらい、あんた、屁ぇみたいなもんでっせ。巫女さんは神さんが降りてきたら神さんと同じ扱いで拝まれる側になるんですけど、サニワて呼ばれる男はんは神さんのご託宣の翻訳者、早い話が使いっ走りでしかないんですからね。せやし、土俵に上がることに執着するぐらいやったら、もっとオリンピックの招致とかに拘っといたらよかったんです。先ずは雰囲気を盛り上げるのがいちばんでっさかいな。“万博の夢よもう一度”でんがな。こんなんでもちょっとは元気になれまっせ。知事さんが土俵に上がっても本人以外は誰も盛り上がりまへんで、実際のとこが。
ええと・・・何の話でしたかいな? せやった。ケチの付き始めがエロ知事さんやったいう話でした。そら、景気が悪なったんはあの知事さんの責任やありません。せやけど、タイミングが悪過ぎたんですわ。ほんで、上でちょこっと言いましたけど、オリンピックの招致問題やとか、なんやのかんやのがどれもこれもパッとせぇへんかったし、ほんで、あのセクハラ問題がケチの付き始めみたいに思われるんでっしゃろなぁ。そら、阪神タイガースの優勝では盛り上がりましたよ。けど、道頓堀で死人はでるし、それに、阪神タイガースは兵庫県のチームです。大阪とは違うんです。せやし、盛り上がっても何や知らんけど隙間風を感じてしまうんですなぁ、これが。
簡単に言うてしもたら、元気になる要素が一つもないっちゅうことですねや、大阪人には。そこんとこをどないかせんと、そら、二進も三進も(にっちもさっちも)行かしまへん。何でもええし、ワイワイ騒げるネタを探さなアカンし、騒いだだけの経済効果がないとアカンいうことですなぁ。そう言えば、ワイワイ騒ぐ本家本元のお笑い芸人も怪しからんことです。“東京進出”とか言うて、猫も杓子も東京へ移住してしまいますのや。大阪弁(あるいは関西弁)で稼がしてもらいながら、お江戸に住むとはどういうことですか? 大阪弁の言霊(ことだま)さんに失礼でっせ。ノミノスクネの話やないけど、それこそ罰が当たりまっせ。そら、確かに、ブロードキャストネットワークのキー局は東京にあります。せやけど、大阪からの電波を全国に流されへんいうことではないでしょ? 「儂の芸を使いたかったらカメラ持って東京から大阪まで来んかいや」なんて恰好ええ啖呵きる関西芸人が出てこんもんでっしゃろかなぁ。そんな芸人さんが出てきたら“大阪府民栄誉賞”かなんか作って贈呈させてもらいまっせ
。
そう言えば、ファイターズのMr.シンジョウ、彼なんか“北海道民栄誉賞”の受賞候補にしてもええでしょう? “北海道民栄誉賞”があるのやらないのやら知りまへんけど、表彰してもええぐらいの活躍やありませんか? いえね、最初に言うたように、プロ野球に興味ないもんで、試合での活躍がどの程度かはしりません。けど、北海道の地元ファンが盛り上がってて観客動員数も大幅に増えたんは大活躍と評してもええでしょう。せや、Mr.シンジョウみたいなプレーヤーがバッファローズに居てたらええんですわ。興行成績が上がったら合併問題なんか消し飛んでしまいますからねぇ。それに加えて、野球の世界以外のあっちゃこっちゃで大阪を盛り上げてくれるお人が出て来てくれへんもんでしょうかしらん。そういうことが“大阪腑抜け問題”の根本的な解決に不可欠なんですわ。
えっ? 「ガタガタ評論ばっかりしとらんで、具体的なアイデア出せ」言わはるんですか? そんな、あんさん、妙案がすんなり出てくるようやったらこんなに愚痴ってまへんがな。はぁ、確かに口先だけで文句言うてるのは無責任ですけども・・・しゃぁないなぁ・・・ほな、実現できるかどうかは別問題として、一つ提案しまひょ。一般的に、アカンタレを矯正するには二つの方法を使い分けます。一つはアメで、もう一つはムチ。当たり前でんがな。大昔から言われてる通りです。問題はアメとムチを有効に使い分ける環境を作ることですのや。で、その環境作りとしては大阪を独立させることが一番やと思います。聞こえまへんか? ド・ク・リ・ツ、“独立”でんがな。
道州制とかが取沙汰されてますけど、そんな生温いことやないんです。ほんまに東京とは縁を切って、別の国として独立するということなんです。勿論、国連へも別個に加盟します。何も48都道府県全部を別々の国にしろとまでは言いまへん。取り敢えずは、日本列島を糸魚川・静岡構造線で二つに別けてみまひょか。東日本国と西日本国でんな。東西に分けるんやったら“南北問題”は起こらへんでしょう? “南北問題”はやっかいやさかい、こればっかりは避けなあきまへん。
ほんで、アメとしてはある程度の保護主義を採るんです。例えば、「東日本国が西日本国のお笑い芸人を雇うて仕事をした場合、東日本国は“西日本固有お笑い享受料”を西日本国に支払わなければならない」っちゅう法律を作るんですわ。東日本国がどう文句を言おうがWTOがウジャラグジャラ干渉しようが押し通すんです。東日本国が対抗策をとっても恐れることはないでしょう。関西人にとって、標準語のコントなんかちょっとも面白(おもろ)ないんやからね。中国地方や九州や沖縄の人らも関西人と全く同じ感覚やとは思いませんけど、お笑い芸人さんには中国地方や九州や沖縄出身者が多いですから困ることはないでしょう。
商売でも同じことですわ。関税でがっちり保護政策を打ち出しまひょ。経済問題の方は東日本国に対抗策を採られると困ったことになりかねません。せやけど、そうなったらそうなったで、今度はそれがムチとしての効果として期待できるんやありまへんか? 東京経由で商売しない。西日本だけで自給自足できるように殖産興業に努めなあかんようになるということでっさかいな。嫌でも頑張って地場産業に力を入れんならんということですわ。どうです? アメとムチがしっかり一体化してるでしょ? 我ながら、こんな妙案はないと思います。懸念されることというと、今まで経験のない国際紛争、即ち地続きの外国(東日本国のことです)との紛争が起きかねないということですかなぁ。実のところ、これは大問題なんでして、地続きやと血の気の多い連中が実力行使しかねんということでっさかいな。そらそうでしょ。ちょっと歩いて行って、ポカンて殴(どつ)くなんてことが簡単にできるんやからね。拳骨での喧嘩やったらまだええけど、そのうち武器を持ち出すんですなぁ、浅はかな人間いうのは。悲しいことに、過去の歴史からその危険性を知ることができますのや。
せやし、このアイデアを実現させるためには一つ不可欠なことがあると思うんですわ。それは、東も西も、独立しても現在の憲法第9条の精神を堅持すると約束することです。早い話が、「紛争が起こっても武力には頼りません」と宣言するいうことですな。皆さんもそう思わはるでしょう?・・・・・はぁ、「それやったら、アイデア倒れや」ですて? 「独立する前に憲法第9条がなくなりそうや」て言わはるんですな。なるほど、それは困ったことです。ほなら、大急ぎに急ぎまひょ。憲法第9条があるうちに西日本国の独立を実現しまひょうな・・・・・「そんな馬力があったらこんな問題は起こってない」やて? 確かにそうです。この堂々巡りが八方塞の原因そのものやということでんな。こらあきまへん。私は、やっぱ、アイデア出すより、ブツブツ言うてる方が似合(にお)てるようですわ。
ということで、ここらで退散、退散。関西弁のキーボーディングも結構面倒臭いことやし、この辺でご免やっしゃ。そうなんですわ。ワープロまで標準語しか受付けよれへんのです。ほんま腹立つわぁ。先ずは、関西弁のワープロソフトの開発してもらわなどもなりまへんで・・・ブツクサ、ブツクサ・・・ブツクサ、ブツクサ・・・へぇ、さいなら。
(2004年7月10日)
ここをクリックするとこのページの最初に戻ります
「展覧会の絵」を聞きながら
自慢にはならないが、管弦楽のコンサートでは抗し切れない眠気に襲われることが多い。即ち、私の感性が大作曲家や演奏家たちから置いてけぼりを食ってしまうということだ。しかし、しっかりとその作品に付いて行けることもある。経験的に判断するに、どうやら作曲家に拠るようである。典型的なのはピョートル・イリイッチ・チャイコフスキーで、彼の作品は私の意識の中に入り込み、決してそれを肉体から引き離すことは無い。一方で、リヒャルト・ヴァーグナーの楽劇などにはとてもついて行けない。「トリスタンとイゾルデ」や「ニーベルンゲンの歌」といったケルトやゲルマンの伝説を基調とした物語は魅力的なのだが、それらを土台にしてワグナーが創始したという楽劇は、私にとっては、ただの催眠剤にすぎない。
実は、この文章はCDプレーヤーで音楽を聴きながら書いている。モデスト・ペトロヴィッチ・ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」である。因みにモウリス・ラヴェルの編曲作品で、アンドレ・プロヴィン指揮によるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。彼もまた私が眠らない音楽の作曲家の一人なのだ。さて、音楽好きの方ならご存知のことと思うが、この組曲の冒頭と前半部分の三箇所に“プロムナード”が配置されている。実に印象的なモチーフが繰り返されていて、霧のように形の無い想像力が溢れてくるような感じがする。次の展示室へと大きな美術館の回廊を期待に満ちて進むときの感じが思い浮かぶようなのだ。
十枚の絵の部分もそれぞれに好いのだが、私には最後の“キエフの大門”が図抜けてイマジナブルに思える。最近になって、その“キエフの大門”の中に“プロムナード”のモチーフがさり気無く盛り込まれていることに気付いた。何故だか自分が大きな門を潜り抜けて行くような気分だと思っていたのだが、どうも、それは“プロムナード”のモチーフによって無意識のうちに肉体的な移動(簡潔に表現すれば“歩行”ということになる)の感覚に浸っていたらしいのだ。さほどに“プロムナード”のモチーフの印象が強烈なのであろう。
柄にも無くクラシック音楽の話をしてしまったが、最後までチャイコフスキーやムソルグスキーについて語るほど彼らの作品や他のクラシック音楽に精通している訳ではない。ここでの話題は、いわゆる芸術作品の楽しみ方、しかも素人の楽しみ方なのであり、「展覧会の絵」はそのマクラに使わせていただいただけである。まぁ、伝統的な和声に拘らなかったムソルグスキー氏のことだから、ど素人によるこのような不遜な態度も鷹揚にお赦しくださることであろう。
芸術の分野を問わず、その奥深さも知らず芸術作品を論じるのは浅薄至極との意見をしばしば耳にする。尤もな意見ではある。が、それでは芸術が庶民からドンドン離れていく。それもつまらないことではあるまいか。小難しく語られることを常としている芸術にも浅学の徒が楽しむ余地を残しておいて欲しいものだと思う。文学の研究者は作家のパーソナル・ヒストリーを事細かく調べ上げ、その作家がある作品を書いた時期の心理的な背景まで抉(えぐ)り出した上で作品を論じる。研究者なのだからそれは当然のことだろう。だが、そんな態度を研究者ではないただの読者に求めてはいけない。研究者が失敗作と酷評する作品から深い感銘を受けた読者がいたとしてもちっともおかしくはない。世俗的な流行歌(はやりうた)を聞いて涙することだって人間の豊かな感情の現れなのだから。
そもそも 芸術作品には“失敗作”などというものは有り得ないと思っている。そんなものは評論家やその道の研究者たちの職業的な論評のための論評にすぎない。文章でも絵画でも造形でも最低限の技術がなければ作品にはならないが、神の如き万能の人間がいる筈はないのだから、完璧な作品など有り得ない。少なからぬ失敗部分が見つかって当たり前なのではあるまいか。売れっ子の作家や、時には有名な大作家ですら、作品中の日本語に“?”を付けたい部分はいくらでも見つけられる。それでもなお人に語り掛けたい何かがあるからこそ、作者はそれを世に問うのだと思っている。作品を作る側の立場とはそんなものなのだ。己の程度を知り、己の至らない部分を恥じ、尚且つ、訴えたいことがある。だから、恥を忍んで作品を発表する。ただそれだけのことなのだ。
勿論、プロの場合、市場経済の世の中ではカネにならなければ“作品”として発表はできない。だが、一度たりとも名前が売れれば、どんな駄作でもカネになる。しかし、それに甘えるほど芸術家が無恥厚顔だとは思わない。何故なら、先ずは訴えたい何かがあると信じているからなのだ。職人は素人にはない技術を売る。芸術家は技術ではなく感性を売る。その違いは大きい。職人は技術に失敗するとそれで終わりだ。客は文句を言い、次の注文は入ってこない。芸術家が作品作りに失敗しても、訴えたい何かが主張することを諦めていない限りそれに共鳴する鑑賞家は必ず存在する。次も確実に期待されているのである。
ただ、鑑賞者が思い描く世界と作者が描こうとした世界が一致するとは限らない。全く異なる人生を歩んできた人間なのだ。同じものを同じように見たり聞いたりしてもそれによって喚起される感情が同じであることの方が不思議だ。同様に、鑑賞者が10人いれば一つの作品から10の異なる世界が導き出される。自分とは解釈が異なるから正しい鑑賞眼を持っていないと他人を謗ってはいけない。しかし、中途半端に芸術に精通した人に限って、通説となった解釈や己の解釈を他人に押し付けようとする傾向が見受けられる。そういった半端な教養人が近くにいると誰しも芸術から遠ざかってしまう。
ラッキーにも子供の頃の私の周りには“教養人”が少なかった。それで、常識的な講釈なしで芸術作品に接することができた。私は絵が好きだった。但し、そのことを表立って公言したのは高校生になってからだった。というもの、教養は無かったが教育ママだった母親が私をインチキ臭い絵画教室に通わせたり、“出来る子”であった私の兄のように色を様々に混ぜて使えなどという当時の私には理解できないアドバイスを与えたりしたからである。実に幸いなことに、高校三年生のときに下宿し、母親とは離れて生活するようになった。お蔭で、そういった“常識的な制約”から解放されたので、自分の好きな絵に好きなように埋没できたのであった。
その代わりと言うべきであろうか、個性的な同級生に悩まされることにもなってしまった。そんな一人であるI君も絵が好きで、将来は美大に進むと言っていた。それは「お好きにどうぞ」と返事しておけば済んだが、彼の作品を見せられる段になるとそう簡単に事は運ばなかった。ただ黙って見せればいいものを、あれやこれや奇妙な解説を聞かせられるのには閉口した。例えば、校門から望んだ校舎を真っ赤に描いたお世辞にも立派とは言えない作品が何故背景も校舎も赤が基調なのかを綿々と語るのである。見ている私には「赤く塗りたい心境だったんだね」としか反応の仕様がないのだが、彼はそれには全く気付かず、ただひたすらに私の同意を求める。当時の私とて一徹な高校生だ。同意できないことには同意しない。最終的に、私のことを芸術が理解できない野蛮人のように哀れむI君であった。
揶揄していると思われるかもしれないが、私はI君の態度を非難するつもりはない。その姿勢は当時も今も変わりはしない。自分の感性を堂々と述べる彼の態度には共感するのだ。大事なのは常識でも通説を知っているという教養でも何でもない。自分の感じたそのままが最も肝腎なのだ。芸術作品を研究者や評論家が評するものとしてフリーズしてしまったら、その芸術作品はその時点で死んでしまう。限りないイマジネーションを与え続けてこそ芸術作品だ。固定的な観念を押し付けるものを芸術とは呼ばない。作者や作品のバックグラウンドを承知しておくことも作品の理解には重要だという意見を否定はしない。だが、それ以上に、フィルターなしの各個人の感覚の方を重視したい。
自分自身がアマチュア作家として描いたり綴ったりするとき、単純なテーマや単一の心持を持ち続けることなど有り得ないことが実感なのである。人間は左程に単純では有り得ない。細密画を忠実に描ける大脳生理学的に見て基質的な病変を抱えた絵画作家についてはいざ知らず、そうではない作者の心理が単純な言葉で言い表せるほど単純である筈が無い。斯く言いつつも、私は他人と芸術作品について議論を交わす。それはその人の感性を否定するためではない。お互いの感性の違いを確認し、お互いに気付かなかった点を補い合うためなのだ。その点は先ほどお話した高校時代の同級生I君と些か異なる点である。
学術的な議論と同様に、芸術の世界にあっても個人の発想には限りがある。複数の人間の議論の中で真理とされる概念と同様に美というものは試されるのである。歴史家は往々にして天才の存在を強調するが、天才が独りで偉業を成し遂げることなど有り得ない。天才と呼ばれる英才といえども人間の器量と歴史の枠を無条件に飛び越えることはできない。古今東西の識者の綿々たる業績の蓄積なくして天才の業績は有り得ないのだ。ヒトは集団的な議論の中で概念を確立しや感性を磨いてゆく。素人たりとも遠慮することはない。考えたまま、感じたままを世に表明すればいい。それを無視する世界はいずれ頽廃する。
突然に話が飛ぶが、宮本武蔵はひらめきだけで生き抜いてきた兵法の天才だろうか。私はそうは思わない。彼は非常に理解力に優れた合理主義的常人に過ぎない。「五輪書」を読めば一目瞭然だが、彼はただの“学び得る人”に過ぎない。一戦一戦で確実に学び、命を失うことなく果し合いを連ねていったに過ぎないのだ。俗っぽく言うなら“運のいい秀才”ということになるだろう。彼は刀というものは片手で扱うべきだと主張する。現代のスポーツ剣道しか知らない者には理解を超えた意見だ。しかし、彼は実戦で学んだのだ。二本の腕は有効に使わなければならないことを。彼は、その主張の延長として、持っている道具(武器)は余さず使わなければ意味がないと言う。だから、脇差も使う。二本の腕がそれぞれ活動すれば太刀と脇差が同時に使える。斯くして生まれたのが二天一流なのである。この流派は天才のひらめきに拠るものではない。合理主義者が命の遣り取りの中で学んだことを一般的方法論に纏め上げたものなのである。
「五輪書」は具体性に欠けるという意見があるそうだ。奇妙な評価だと思う。華道の流派によっては、中心に据えるものと脇に添えるものの長さの比率とか角度まで指定するそうだ。そんなことを決められたのでは面白くもなんともない。一般化された法則性には価値があるが、その機械的な適用には何の魅力もありはしないのだ。武蔵は、彼が学んだことの大部分を一般化できたからこそ「兵法三十五箇条」や「五輪書」を書こうと思ったに違いない。だが、「五輪書」の中には、書き切れないので“口伝”するという項目が幾つかある。勿体をつけているのではない。個別的な方法論を述べなければ理解できないことがあるということを正直に認めているのである。意地悪く表現するなら、完全には一般化できない部分もあるということなのだ。私は「五輪書」は具体性に欠けるという点においてこそ評価されるべきだと思っている。
むしろ、具体的にしか表現できない部分は省いても、尚もあれほどに書けることを評価すべきだと思うのである。武蔵は間違いなく秀才だ。文章から教養は感じられない。自ら認めているように、彼には武芸のみならず学問の師匠もいなかったようだ。そんな無教養な彼が読むに値する書物を書き残せた理由は偏に“学び得る才能”と“纏め上げる才能”に帰する。何事についても、大事なのはいくら奥深くとも生硬に過ぎる教養ではなく、あらゆることを柔軟に受け止め得る理解力や感性なのだ。武蔵が刀で殺しあうこととは無縁な現代人に受け入れられているのは、そのことを思い出させてくれるからだと理解している。
なぜ唐突に宮本武蔵が出て来たかご理解いただけたと思う。私は武蔵の素直な生き様に芸術を感じているのだ。勿論、本人の人となりに直接触れることなどできはしない。後世の作家の描く武蔵のイメージに捉われている部分も否定できない。だが、「兵法三十五箇条」や「五輪書」のみを評価材料とすることに徹しようという心根で評価した場合も、彼の生き様は芸術的だと感じられる。剣道をご存じない方々もイメージできると思うが、剣道の打ち込みの際は左足で蹴るように進む。打ち込みの瞬間とその前後において左右の足が通常の歩行のように交差しないのだ。だが、武蔵は足の運びは常に歩むが如くに踏みしめよと言っている。これは実戦でのみ築き上げられた理論なのだ。吉岡一門との決闘地である一乗寺下がり松近辺の地形や厳流佐々木小次郎と戦った船島の砂浜で、現代のスポーツ剣道風に打ち込みができるかどうか試すまでもないことだ。そんなことをしたら、ずるりと滑ってスッテンコロリン転んでしまうの落ちだ。
武蔵は自分が実際に経験し納得したことのみを他人に伝えようとした。理想的な環境でのあるべき姿や、美しく見せたり奥深いと感じさせる技巧を廃し、感じ得たことのみを伝えようとしたのである。これは芸術家の基本的な態度と同じではないか。だから、私は武蔵の書から芸術を感じるのだと思っている。小難しいことはどうでもいい。私はあらゆることを柔軟に受け止め得る理解力や感性こそが人の心を打つのだと信じているのである。その見本として宮本武蔵を理解しているということなのだ。
左様、理屈は二の次で結構。批評家や研究者は素人たる鑑賞者の邪魔をしてはいけない。素人の鑑賞眼の一助となれば幸いとの立場を崩してはならないと思う。ましてや、只の“教養人”については言うに及ばない。芸術の鑑賞に程度の差などない。無教養な私たちと異質な世界にいるかのような高慢な態度は滑稽にしか見えないことを知るべきだ。敬虔な仏教徒の中にも、哲学的な共感を以って受け入れている人もあれば、ただ頓(ひたすら)に仏の慈悲や高僧の遺徳に縋(すが)る人もいる。その何れもが仏を信じている。それで結構なことだ。信仰は教養で支えられているのではない。単純に信ずる心に過ぎない。無信心な私が信心深い仏教徒であった祖母を敬愛する理由もそこにある。芸術も然りだ。芸術は鑑賞されてこそ価値がある。批評されても価値が増すことなどありはしないのだ。
ムソルグスキー氏の作品からとんでもない議論に発展してしまった。ムソルグスキー氏も草葉の陰で苦笑いしていることだろう。だが、この点についてはぜひともご容赦願わねばならない。何でも習わなければ気の済まない若者と、何でも文句を付け教訓を垂れなければ気の済まない大人たちが溢れている世の中で、目を白黒させている私の困惑に免じてお許し願いたいのである。兎にも角にも、各個人の感性を大事にしたいものである。それこそが萎縮した現代を伸びやかに矯正する唯一の手段だと、私は信じて疑わないからだ。
(2004年6月26日)
ここをクリックするとこのページの最初に戻ります
カラス何故鳴くの
5月の中旬ごろにカラスの巣を見つけた。最近では東京を始めとした大都会の市民権を得たかに見えるハシブトガラスの巣である。つい最近カントウタンポポの群生地となっている神社のことを書いたが(「タンポポ」、2004年5月7日)、まさにそのタンポポが咲き誇っていた斜面にたった一本だけ生えている杉のてっぺん辺りにあったのだ。杉の木は一本だけだが、その周りにはサクラやイチョウやニセアカシヤがあって、それらの樹木の上部の梢を簡単に見通すことは出来ない。何故そんな見通しの悪い場所にかけられたカラスの巣を見つけることができたかと言うと、親ガラスが発した警戒音のお蔭なのである。“雉も鳴かずば打たれまい”の実例をカラスが演じて見せてくれたということだった。尤も、私にはカラスに危害を加える意思は毛頭ないのだが・・・
在来種のタンポポの発見以来その神社が気になって、早朝必ず立ち寄ることにしたのであった。その当初からカラスの鳴き声には気付いていたものの、神社の様子や周囲の状況に意識を集中させていたので、カラスに注目することはなかった。さて、その神社だが、神社の沿革を示すようなものは何もなく、ただ、石段の下に“S神社”と彫り込んだ石柱が立っているだけだ。その石柱は明らかに最近になって作られたものだが、石造りの鳥居の一部は結構年季が入っている。石の額に祭神の名は刻まれているが、“S大明神”という神社名に大明神をくっつけただけの素っ気ないものだ。ただ、鳥居に“天保二辛卯年九月吉日”と記されているので、この神社が1831年あるいはそれ以前に建てられたことだけははっきりしている。
社自体は近年になって建て替えられたらしくて新しい。拝殿の中を覗いても由緒を窺うヒントになるようなものも見当たらない。祭壇と埃と、何故か賽銭箱しか目に入らないのだ。ただ、境内の一角に40年ほど前に立てられた石碑があって、その碑文には「此処には古い井戸があり、その水を利用する簡易水道組合があったがその地域にも本格的な上水道設備が整えられたことによりその組合が解散された」とある。碑文に続けてその組合員の名前がずらりと書いてあるが、その姓の大半は同じで、上代には蛇を表すとされた音(おん)と“井”という文字を含んでいる。“S大明神”というのは蛇身の水神ではないかと推察できる。少なくとも、典型的な原始神道の神様だと断定しても間違いはないだろう。
周囲を見渡すと、すぐ近くには割合に大きな川が流れており、大昔にはその神社の辺りまで川が蛇行していただろうと思える地形である。川の流れが大きく変化して退いても、もとは川底であったところから水が湧いてもおかしくはない。私の中では、S大明神は水神様で決まりである。また、配置は奇妙だが、境内の一角には道祖神を祀る石があり、更に、二つの小さな祠もある。一つは、意味不明ながら、細長い二つの石が素っ気なく祀られている。原始神道によく見られる形態だ。もう一つはお稲荷さんである。奇妙な取り合わせに見えるが、上代に今来の渡来人が多く送り込まれた関東のことだから、自然石を神座(かみくら)とした在来の古い社に渡来神であるイナリが祀られていてもおかしくはないかもしれない。それに、イナリは本来ミケツカミ(食べ物の神様)の一つだ。農耕の基礎をなす水の神との相性は抜群なのだ。因みに、このミケツカミ(御食津神)を“三狐神”と当て字されたためにイナリは狐に付会されたとの説がある。
また、私の地形に関する考察が正しければ、そこには川沿いの街道が通っていたであろう。ならば、そこに道祖神が据えられていても奇妙ではない。道、特にその分岐点は人とともに異界のものや悪鬼が往来する。昔の人々は、現代のような見世物ではない悪霊や魔物の侵入を防ぐために道祖神を本気で祀ったのだ。それらの配置や向きがおかしいのは、道路や住宅地の開発で地形が変わったことに加えて、社の手入れの際に適当に動かしたことによるのだろう。
おっと、カラスが何処かへ飛んで行ってしまいそうだ。話しを主題に向け直そう。そんな不可思議な神社なのであれやこれや想いを巡らしていたのだが、そんな思考の隙間にあって、ふと騒がしいカラスの鳴き声が警戒音であることに気付いたということなのである。生物学を学んだ者の性というべきであろうか、近くにカラスの巣があることを知ると、その所在を突き止めたくて仕方なくなってしまった。神社の考察は後回しにして、カラスの巣の探索に取り掛かったのである。と言っても、それは極めて簡単な作業だ。自分の位置を変えてカラスが何処で警戒音を発するか見定めればいいだけのことなのだ。
カラスと自分を結んだ複数の直線の交点が杉の木らしいとめぼしが付くと、後はその杉の木を仔細に観察すればいい。あれやこれやの木の枝が遮る狭い視界から観察してそれらしい影を見つけた。時折テレビジョンのニュースで見る東京のカラスの巣とは違って、針金ハンガーなど一つも使っていない。何処から見ても、枯れ枝だけで作られていることは明らかだった。巣を見つけたからには雛の存在も確認したいと思うのが人情だ。翌日は、その杉の木の真下あたりで身動きもせずじっとしていた。暫くすると、親鳥も警戒を緩め、雛の鳴き声が聞こえてきた。一羽ではない。少なくとも二羽、あるいは三羽かもしれないと思われた。もう、五月の末になっていた。
雛の存在を確認してから2、3日後のことだった。親ガラスのうるさい警戒音の発し方がいつもとは違っていた。私の位置と巣の位置からでは説明できない場所に陣取って鳴いているのだ。雛が巣立ったに違いない。そう判断した私は、親ガラスの動きを丹念に観察した。その結果、直ぐ近くの電線の上に小柄なカラスを発見した。キジバトよりはかなり大きいが親に較べれば遥かに小さく且つ痩せている。首を竦(すく)めた感じでカラスに特有のあつかましい様子が全く感じられない。真下から見ると、嘴の付け根辺りがまだ黄色っぽい。泣き声もか細い。「ガーガー」ではなく「ワーワー」と聞こえるのだ。間違いなく巣立ったばかりのようだが、若鳥は一羽しかいない。残りは未だ巣立っていないようだった。
巣立った若鳥と巣に残っている雛の両方に気を配っている所為か、親ガラスの動きが忙しない。電線の被覆をコツコツ突いたり、木の小枝を嘴でへし折っては下に落としたりする。カラスは普段でもそのような悪戯をするが、遊びでないことは明らかだった。あまりに頻繁にその行動を繰り返すのだ。子供を守るというよりは私に対する嫌がらせのように思えて、自ずと苦笑いが込み上げる。私の存在がよほど気に食わないのであろうが、私の好奇心を満たすためには暫く辛抱してもらわねばならない。「悪いね」と一声掛けたが、カラスには通じる筈もなかった。
二日後、弱弱しい若鳥の姿が二つ増えた。やはり、雛は三羽だったようだ。先に巣立った一羽には心成しか多少キリリとした感じを覚える。野生動物の成長は早いのであろう。それに較べて、遅れをとった二羽は頼りない。特に、より小さな方は木の枝にとまっているのがやっとのようで、全く動こうとしない。助けてやれるものなら助けてやりたいというのが正直な心情ではあるが、それは自然の摂理に反する。実際、その摂理はカラスの社会にも当てはまるようで、三日すると親ガラスの姿が見えなくなった。何処へ行ったのか分からないが、やや遠方から聞こえていたカラスの声も聞こえない。そこら辺り一体の親ガラスが何処かへ行ってしまったのだ。私の観察対象は小さな三羽の子ガラスだけになってしまった。それは不気味に静かな朝だった。
翌々日ぐらいからカラスの数が増えた。親が戻ってきたのではない。明らかに若いカラスが移動してきたのだ。神社の境内付近に七羽ほどいたのだが、私が観察を続けている三羽以外も、しっかりはしているが未だ幼鳥と呼ぶべきであった。喧嘩をするでもなく、助け合っている風もなく、ただ其処にいるといった様子である。それにしても親ガラスは何処に行ってしまったのだろう。このまま帰って来ないのだろうか。私はどう判断すべきか迷っていたし、また、心配であった。三羽の兄弟たちのうちの一羽が弱っているように見えたからだ。最初に巣立ったお兄ちゃん(お姉ちゃんかもしれないが)は活発とは言えないが其処此処を飛び回り、時折は地面に降りたりもしている。もう一羽も大人しいが未だ弱っているようには見えない。ところが、残りの一羽はどう見ても正常ではない。枝にとまってじっとしているのだが、翼がきっちり畳まれていない。その力を失っているかのように翼が乱れているのだ。
親が居なくなって三日後に、その弱った子ガラスは死んでしまった。朝、神社に行くと、彼(或いは、彼女)がいつもとまっていた木の下に死体が落ちていたのだ。私は、その死体をそのままにしておこうと思った。野生動物の死体は自然に任せて処理した方がまさしく自然だと考えたのだ。しかし、一旦神社から引き上げたものの、直ぐにシャベルを持って神社へと引き返した。結局、その子ガラスを埋めてやったのである。自然観察者としては落第だと思うが、現役の生物学の研究者ではないことだし、少々なら情に絆(ほだ)されても許されると勝手な理屈を捏ねた挙句であった。
このままではもう一羽も死んでしまうのではないかと案じられたのだが、案の定、翌日は地面に降りてしまって弱弱しく跳ねている。近づくと茂みへと逃げるのだが、本気で捕まえようとすればできなくもないと思えるほどに動きが鈍いし、上手に飛ぶこともできない。翌日はもっと弱っていた。潅木の枝にとまってじっとしている。手を伸ばせば届く高さだった。私はよりよく観察するためにその木に近づいた。その時だった、背後に“殺気”というと大袈裟だが明らかな気配を感じて身を低くした。視界の端にカラスの姿がチラリと見えた。私の頭上を掠めてから再び舞い上がり、近くの電柱にとまって私の方を見ている。親ガラスが帰ってきていたのだ。見回すと近くにつがいのもう一羽もいて、それも私のことを気にしている。私がそのままの位置をキープしていると、再び襲ってきた。その後も急降下攻撃を幾度か繰り返した。私は子ガラスの様子を確かめる必要がないことを悟り、その場を離れた。
そ れ以後も、親子四羽のカラスは小さな社の境内近辺で暮らしているようだ。弱っていた子ガラスも元気になった。親が餌を与えたとしか考えられないが、その現場を見た訳ではないので断言することはできない。それを敢えて確かめようとは思わなくなっていた。左様、私はもう彼らの観察をやめてしまったのだ。そのうち、親か子かあるいはその両方が新天地へと飛び立つのであろうが、それを見極めようとも思わない。散々彼らを苛々させたに違いないのだ。だから、これ以上彼らの邪魔をするのは止めようと思ったのである。
随分前のことだが、童謡“七つの子”の出だし部分の「カラス何故鳴くの」に対して「カラスの勝手でしょ」と切って捨てるギャグで馬鹿受けしたお笑い芸人がいた。私は滑稽さよりは不快感を覚えたが、このギャグが流行った底流には“七つの子”という歌を誰もが知っているという事実が横たわっている。その中に「かわい、かわいと鳴くんだよ」という一節があるが、ここでお話した私の観察からすると、これは事実と異なるようである。カラスの鳴き声の多くは仲間に敵の存在を知らせるものや敵を威嚇するもののようであるからだ。勿論、それら以外の鳴き声もある。つがい同士や親子で鳴き交わす場面を見ない訳ではないのだ。だが、「カラスは何故鳴くのか」という問いの答として「子供を可愛いと言うからだ」とは到底言えない。
こんな憎まれ口をたたいていると、ただでさえ変わり者の偏屈親父で通っているのに、益々人様から嫌われてしまいそうだ。私とて詩人の情感が理解できないほどの朴念仁ではないのだと声を大きくして宣伝しておかなければなるまい。ただ、昔とは状況が変わってしまったことを考えなければならないと思うのだ。カラスが山と里とを行き来する時代であれば、カラスの鳴き声も長閑(のどか)に聞くことができただろう。しかし、カラスがヒトの残飯を漁るためにヒトの領分に腰を落ち着かせてしまった今日では、カラスとヒトとの過度の接触による鳴き声ばかりが聞こえてくる。とてもではないが、その昔の詩人のような感覚でカラスを見ることはできないだろう。尤も、こういう屁理屈を捏ねているのは一方的にヒトの側なのであって、カラスは彼らの本能に従って餌を求め子を育てているに過ぎない。そんな当たり前のことを頭の中だけではなく腹の底で感じた日々であった。
ところで、尻きれトンボになった神社の話にもケリをつけておかなければこの話を締め括ることができないであろう。カラスが棲むべき山が失われたように、神々も安住の地を失いつつあるように思える。社や鳥居にめぐらした注連縄(しめなわ)はビニール紐であり、紙垂(かみしで)も殆どが千切れ飛んでいる。謎の小石と稲荷が鎮まる祠は鋼鉄製で、その中では陶製の狐殿がオトトイの方向を向いてひっくり返っている。これでは悪鬼・夜叉の類であるはずの荼吉尼天(だきにてん)も形無しである。稲荷の大元締めの伏見稲荷を祀ったと伝えられる秦公伊呂具(はたのきみのいろく)も草葉の陰で憮然としていることだろう。
そんな境内でつい最近植えられたらしい花を数株とはいえ目にできるのは何よりの慰めだ。老婆か幼い子供の仕業であろう。移植の技術など気にしていない。ただ、手向けの心根のみを感じる植え付けである。神々を必要とする農業や地域共同体が崩壊しつつあるが、ヒトの心に自然と馴染む純朴な心が残っている限り、神々は垂(しで)の外れたビニール紐の注連(しめ)と鋼鉄の祠の内にでも満足して鎮まっていることであろう。私は、カラスの観察を打ち切った時、その神社の探索もお仕舞いにしようと思った。由緒不明の水神と豊穣の神たるウカノミタマノカミを祀る稲荷と辻辻からやってくる災厄を防ぐ障の神(さえのかみ)たる道祖神が同居する小さな社も、人の世のうつろいに従って今後更に変化していくことだろう。だが、カラスの親子の行く末と同様に、その変化を見届けることを私には許されていないと思ったのだ。実は、ヒトの心のうつろいは見たくないというのが本音なのかもしれないと感じながらも、そんな風に結論付けたのだ。
(2004年6月13日)
ここをクリックするとこのページの最初に戻ります
遵法精神
民主主義を基本とした法治国家では、国民が法を守ることが何よりの基本であることは言うまでもない。基本といえば、三権分立も歴史的に確立した民主主義を守る基本の内の一つであり、遵法精神にも大きく係わっている。法を作り、その枠内で国を統治し、法そのものを司るという国家作用における大きな三つの権力を独立あるいは分散させることが、独裁的な権力の掌握を阻止する決め手となる。そのことを長い時間をかけて人類がようやく学んだ結果が三権分立という概念なのである。この三権分立の制度が確立していないと遵法精神が報われることもないと断言していい。法を擁護する権力が法を作りまたそれを施行する権力から分離されていないと、法は支配の道具としてのみ機能する。即ち、法解釈が恣意的に行われ、法を律儀に守ったつもりでも違法だと罰せられたり、逆に、違法行為で不利益を被ったと訴えても取り合ってもらえないという事態が生じる。そんなことでは、法を守っても庶民の利益にはならないということになり、誰も法を守ろうとしなくなるからである。
私たちの日本国は民主主義を基本とする法治国家だと学校で習ったが、その割には、法を守る姿勢が希薄であるように感じられる。法に限らず私的なルールについても同様だと思う。何故だろう。法を守っても国民の利益にならないのであろうか。即ち、私たちの国が民主主義国家であり法治国家だというのは幻想にすぎないのだろうか。はたまた、遵法精神に欠けているというのが単なる私の思い過ごしなのであろうか。その辺について、国家の末端に位置する庶民として日常の出来事から考えてみたい。
私は20年以上に亘ってアメリカ資本の巨大企業に勤めていた。その会社ではナショナル・ロウあるいはそれに準ずるレギュレーションに対するコンプライアンスは完璧であった。その当時を思い出したため英語の単語が並んでしまったが、早い話が法やその他の公の規制は悉(ことごと)く守られていたのである。社内ルールがアメリカ合衆国及び日本国の法以上に厳しかったのだから、社内ルールを守っていれば法を犯すことは絶対になかったということだ。アメリカで会社のミスによって事故や社員の不利益が発生すると、直ちに会社は社員から訴えられるし裁判になれば会社側の敗訴は確実だ。法を完全に遵守するのは、社員を守るためでもあるが、会社自身即ち株主の利益を守ることが主たる目的のようにも見える。動機はともあれ遵法精神という点では見事であった。
会社にとどまらず、アメリカの社会では概して日本より遵法意識が高いようだ。勿論、統計データから明らかなように、国全体では、犯罪の発生率は日本より遥かに高い。それは国民の二極化が極端に進んでしまっているからだ。国民が大きく二つの階層に分化しているということである。下層はアウトローの集団と言ってもいいくらいに荒んだ社会だが、上層の純朴な市民は決してそうではない。上層の中でもほんの一握りのスーパーリッチについては知る由もないため観察対象から除外されるが、私がここで遵法意識が高いと評したのはこの上層に属する善良な人たちのことだ。当然のこと、比較の対象は日本国民の大多数を占める自ら を“中流以上”と 評価している善良なる市民としなければならないだろう。
単純なところで、交通ルールに対する態度を見てみよう。アメリカでは州によって交通法規に多少の違いがあるが、そういう細かいことは抜きにして話を進めたい。また、先ほども指摘したが、法など完璧に無視する無法者も多くいることは承知の上で、アメリカ合衆国の良識的な人々に的を絞った観察結果だということを再度強調しておく。
フリーウェイでは猛スピードの車を多数目にするが、普通の住宅街でスピードを出し過ぎている車を目撃したことは無い。遠く離れた小さな町々を結ぶ州道は歩道などないし、路肩は舗装すらされていない。畑や牧場の間を嫌というほど走ってやっと小さな集落を通り過ぎるのだが、そんな場合、スピード制限が集落前で頻繁に変わる。時速45マイル(時速70Kmちょっと)から時速35マイル(時速55Kmちょっと)になり、更に時速25マイル(ほぼ時速40Km)に落とされ遂には時速15マイル(時速25Km弱)になる。民家が一軒しか見当たらないようなところでも例外ではない。小さな集落では人の姿が全く見えない場合がほとんどだが、その制限時速を守っていない車を私は見たことがない。
そんな果てしない一本道のように思える道路にも交差点はある。信号機がついているのは街と呼べる集落の中だけで、郊外では“STOP”の標識すらない交差点もある。右も左も遥か彼方まで見通せるそんな四辻で、脇道からやって来た車は必ず一旦停止する。しかも、停止時間が長い。これでもかと言う位に安全確認を行っている。また、たまには黄色いスクールバスの後ろにつくこともあるが、スクールバスが停止してもそれを追い越していく車はない。ここで降りた子供の家はいったい何処にあるのだろうと訝るようなだだっ広い牧場の脇で、バスから降りた子供の姿がしっかり確認できる場合でも、後ろについた車はスクールバスが動き出すまで我慢強く待っているのだ。
日本ではどうだろうか。歩道の無い道路を小学生が歩いていてもスピードを落とさずに走り抜ける者も多い。“一旦停止”の標識が掲げられている見通しの悪い(日本の街中の交差点で見通しがよい処など無いといってもいいくらいだ)交差点をただのカーブであるかのように曲がっていく命知らずも決して少数ではない。スクールバスだろうが乗り合いバスだろうが、大型車が停車すると後続車は平気な顔をして追い越していく。たとえセンターラインが黄色の(追い越し禁止の)片道一斜線の道路であってもお構いなしである。
このアメリカと日本の交通マナーの格差は何に起因しているのだろうか。私が勤めていた会社の話で出て来たようにアメリカが訴訟社会であることも一因だろう。交通事故など起こせば裁判沙汰になることは必至だし、負ければとんでもない額の損害賠償金を取られる。交差点では左右を何度も見て安全をこれでもかと確かめたくなることだろう。国土の広さも関係しているかもしれない。あの広大な大陸で一秒を惜しんで突っ走ろうとは誰も思わないが、信号だらけの島国では一つでも多くの交差点を止まらずに通り越したいと思う。そんな側面も否めはしないだろう。だが、私にはそれらだけが原因だとは思えない。
アメリカは植民地時代に宗主国と戦争をして独立を勝ち取ったという歴史を持つ移民の国である。その引き金の一つとなったのは宗主国の身勝手にして一貫性の無い関税についての法律を押し付けられたことだ。市民の利益に反する法には武力をもって立ち向かったのである。独立後も、そのことの是非はともかく、植民者たる彼らとは異なる社会秩序を持つ先住民と戦い、銃を片手に無法地帯を開拓して生活の場を築いてきた。国民の多くの先祖は、法など無い時代には自らの実力で自らの安全を守り、そうこうするうちに自ら法を作りそれを執行することによってより安全な社会勝ち取ってきたのだ。そのような国の成り立ちが彼らの法に対する態度を形成した大きな要素だと考えられる。
自ら法を作った者は何故その法が必要なのかを知っている。その法が必要だからこそ自分で作ったのだから、この点に疑いはない。また、自らの意志で作った法は自(おの)ずから守って当然のものと理解される。また、その法を未発達な社会において執行する上で多くの過ちを犯し、三権分立の必要性を思い知ったのである。世界中で最も三権分立の精神が生きているのがアメリカの憲法だと言われる所以(ゆえん)であろう。ところが、日本では古くから法がある。大宝律令の成立が西暦701年であり、その後まもなく養老律令に引き継がれて律令制による統治が定着している。しかも、それは専制君主たる天皇の統治を徹底させるために中国の制度を真似ようとの“お上”の意思によるものであった。庶民には何のことやらさっぱり分からぬ内に一種の“法治国家”の仲間入りをしてしまったのだ。庶民は法の目的とは無縁であり、三権を一手に掌握する絶対的な“お上”から法を守ることのみを頭ごなしに求められたのである。
その後の歴史の推移の中でも、庶民が法の策定に関与したことはない。厳密には、日本人の多くが民主主義を知り、法は自らが作り守るものだということを学んだのは第二次世界大戦後ということになる。日本人は、1300年近くに亘って“お上”の法を一方的に押し付けられる立場に置かれ続けたのである。これでは法の作られた意義を知ろうとする態度や法を自主的に守ろうとする意識を養うのは困難だ。遵法精神は、ただ、お上による罰を恐れるが故の従順さでしかないのだ。
更に、根本は同じかもしれないが、些か赴きの異なる側面についても考えてみたい。3年ほど前のことだが、とある中小企業の社長さんと食事をすることになった。ウェイターが「お飲み物は?」と注文を促したとき、その人以外の者は全員「車を運転しますので」とアルコール飲料は注文しなかった。だが、その社長さんは一人でビール大瓶を3本ばかり飲み干してしまった。私は当然のこととして車は置いていくか代行運転者を呼ぶものと思っていたが、なんと「自分で運転する」というではないか。私は元神経生理学の研究者として脳生理学の立場からそれがどれほど危険なことかを説明したが、その人はニコニコ笑いながら私の忠告を馬鹿にした態度で無視した。
それ以降、私はどんなにしつこく誘われてもその人物と食事はしないことにしている。飲酒運転の現場を見たくないというだけではない。そんな人格的に劣った人物と顔を合わすこと自体が嫌なのである。遵法精神に欠けるというだけではない。交通事故を起こせば他人を巻き添えにする可能性が高いと考えるべきなのだが、その人はそんな単純にして当然のことに思いが至らないということなのだ。己を過信しているのみならず他者への配慮が全く欠如していると判定せざるを得ない。自己中心的にして高慢な匹夫と付き合うほど私は零落れてはいない。だから、絶対に誘いにはのらないのである。
これもとある中小企業の社長の話だが、そこに勤める私の知人が機械に挟まれて指を潰してしまったことがある。手術を受けて、機能的にはいざ知らず、形態的には回復する目処がたった。主治医はリハビリも入院していた方が効果的だから最低でも一ヶ月入院していろと勧めたらしい。だが、中小企業のこととて、彼は5日で退院せざるを得なかった。退院に際して、医師は「絶対にタバコを吸っている人に近づくな」と言ったそうだ。ニコチンには強烈な血管収縮作用があるのだから、この厳命は当然のことである。ペッチャンコに坐滅した指を整形したのだ。回復には損傷部位への充分な血流が必要なのである。原因がタバコであれ何であれ、抹消血流が悪くなれば、下手をすれば、せっかく整復した指が壊死してしまう。
友人は周りの人にその旨伝えて協力を要請した。一般の労働者諸氏は彼の姿を認めると大急ぎでタバコをもみ消したそうだ。しかし、ただ一人その会社の社長という人は、「怪我の具合はどうですか?」と“労り”の言葉を投げ掛けつつ、彼の前でも平気な顔をしてタバコを吹かし続けたという。どんな人物か知らないが、まともな神経の持ち主でないことだけは確実だろう。医学的な知識がなくて知人の説明が理解できなかったのだろうか。いや、そんなことは考えられない。怪我人本人が医者の指示として説明しているのだ、医学的な知識が無ければ却ってどんな事態になるか分からず、想像もつかない悪い結果を恐れてその指示を守ろうとするのが普通の素人の反応だと思う。
このタバコの件は違法とは言えないが、当然のこととして常識人として守るべきルールに従わず他者のことをかえりみないという点において、法を犯す態度と根っこは同じだと言える。その知人の話に拠れば、彼の会社では違法行為が罷り通っているとのことである。品質管理を筆頭として、労働安全衛生、毒物劇物、危険物、その他の雑多な法定点検、等々あらゆる面で“経費の節約”が徹底していてやるべきことが全く放置されているそうなのである。私の独断ではなく、やはり、根っこは一つだということなのだろう。
さて、ここで二人の人格形成不良の中小企業の社長の話をした理由は既にお分かりのことと思う。この二人に共通していること、即ち、他人のことを慮(おもんばか)るという気持ちの欠如が彼らに非常識な行動を取らせているのだということを指摘したかったのだ。他人の利益や安寧を損なわないというのは社会生活の初歩である。他人と表面だけ和やかに付き合うことが社会人の常識ではない。そんな社会人のイロハを無視するということは、社会に背を向けているに等しい。斯くも社会性が欠落した出来損ないが日陰者のゴロツキならばそれなりに納得もしよう。だが、私が槍玉に挙げている連中は弱小とはいえ社会の中で法人格を与えられた会社の長なのだ。そんな輩が威張って陽の当たる場所を闊歩するのを許している日本の社会は未熟な社会と認識されなければならないだろう。
左様、日本の社会は明らかに未成熟なのだ。1300年近くの空白の後に起きた明治維新という突拍子も無い政変で表面だけが西欧化し、太平洋戦争での敗戦でその化けの皮が引っぺがされ、「いったい世の中の基本とは何なのだろうか」という素朴な疑問が経済復興・経済発展の掛け声の下で60年に亘って棚上げにされてきた。日本の庶民が自らの社会を築こうとしたことは未だ嘗て無かったと評していいだろう。未成熟で当然なのだ。斯く言う私も社会の子であり歴史の子である。自分自身の認識が、人類が積み上げてきた認識の頂点からどれ程の位置にあるのやらさっぱり分からない。ただ、自らの所属する社会が未熟だと感じるのみなのである。
こんな状況にあって、私はひたすら社会性を重視したいと思っている。真夜中の車一台人っ子一人いない交差点でも赤信号を守ろうではないかと呼び掛けたい。24時間営業のコンビニエンスストアが其処此処にあるご時勢である。また、夜更かしの幼児や小児が社会問題化しているご時勢なのである。真夜中でも大人に限らず子供ですら飛び出して来ないとは言い切れない。ましてや、真昼間の交通量が多く見通しの悪い交差点ではきっちり一旦停止の標識を守ろうと大声で叫びたい。他人を傷付ける可能性を極力排除するよう呼び掛けたいのである。そんな些細なことが日本人の意識を変えるきっかけに成り得ると信じたいのだ。自ら法治国家を築いた経験のない日本国の庶民にとって、法やその他の社会的なルールを理解する便(よすが)は社会性あるいは人間愛と表現される感情以外には考えられない。それを徐々に高めていって初めて法治国家の民として遵法精神に目覚めることができるのだと思うのだ。
最近、俄かに沸き起こった議論の末、安易と思えるほどにあっさりと“裁判員制度”が制定された。上に述べた通り、法とはお上から与えられるものだという意識から抜け出すことができていない日本の庶民に俄裁判官になれというのは、私に言わせれば、“途轍もなく無謀な試み”である。裁判員に指名されたある者は“畏れ多いこと”と思い裁判官の意に沿うよう振舞うであろう。また、ある者は“自分が権力者になったかのような錯覚”に捉われて不必要に大言壮語することであろう。また、ある者は“自分には関わりの無いことに引き出されて迷惑”と不満に思いお座なりに済ませてしまうだろう。
“裁判員制度”よりは“陪審員制度”の方が分かりよいが、何故こんな制度を突然導入したのだろうか。今、「突然」と言ったが、突然ではあるが初めてのことではない。これで二度目なのである。日本でも1923年に陪審法が施行され1943年まで生きていたのだ。1923年といえば、関東大地震の年であり、前年に結成されたばかりの日本共産党の党員を早速ながら大量検挙した年でもある。1925年には普通選挙法と抱き合わせで治安維持法が制定され、1931年には満州事変が起こっている。1933年には国際連盟を脱退し、1936年には二・二六事件が勃発し日独防共協定が結ばれた。1940年には日独伊三国軍事同盟に及び、1941年には真珠湾攻撃に突入した。1942年には東条内閣が衆議院の85%を翼賛政治体制協議会推薦候補で占めることに成功した。しかし、戦争推進派の掛け声とは裏腹に、1943年には太平洋戦争の絶望的な行方が明らかになった。ガダルカナル島やアッツ島の守備隊が“玉砕”し、学徒戦時動員体制が発表されたのである。
さて、日本で“陪審員制度”が実施されていた上記の時期を簡単に表現すれば、“大正デモクラシーの終焉から軍閥の勃興による民意の圧殺を経て太平洋戦争での大敗までの期間”と言える。そんな時期に存在した“陪審制度”を政府は今この時期に復活させてしまった。日本の歴史的な風土には全然そぐわない制度をまたぞろ持ち出してきたのだ。憲法第九条の無力化が現実的に進行し、その完全な無力化を目指す憲法改正論が具体的に議論され始めたこの時期にである。二大政党体制が既に実現したかのように横柄な態度を取る野党第一党が、事ある毎に、奇妙な言辞を弄しているこの時期になのである(現在只今は、年金問題が影響してやや静かであるが。)そんな今、時代背景のみに拘泥して評価すれば、翼賛政治の下地造りに利用されたのではないかとの疑いすら感じる陪審員制を復活させたのだ。キナ臭い匂いを感じているのは私だけなのだろうか。
ちょっと脇道に逸れて、上記で触れた二大政党政治について補足したい。前にも述べた通り(「心配性の妄言」、2003年8月23日)、二大政党政治は究極の民主主義的政治形態では最早ありえない。と言うより、歴史的な推移の中で、たまたま民主主義的政治体制の代表となった国々が二大政党政治だっただけであり、それらの国の民主主義も今や危機に瀕していると言うべきであろう。人類は、今、岐路に立っている。新たな民主主義の危機に陥っているのだ。民主主義の代表選手と自認する国の指導者が独裁者の如き振る舞いをしている。民主主義は確立したという大いなる錯覚の中で新しい独裁政治を生もうとしているのだ。“新しい”というのは妥当な表現ではないかもしれない。独裁者は独裁者に過ぎない。歴史的背景の違いによって異なった姿に見えるに過ぎないからだ。
人類の歴史の中に新規性を求めるのは難しい。有史以来の歴史には繰り返しばかりが目立つ。アフガニスタンおよびパキスタンで、アメリカ軍がアルカイダの頭目であるオサマ・ビンラディンの探索に仲間の裏切りを誘っているかのような多額の賞金をかけているということが報道されている。アメリカにとってはテロリストの総帥であり大罪人だから、捕まえるのに手段は選ばないということなのだろう。そんな状況を見ていて、何処かで読んだことがあるような感じが拭い去れずにいたのだが、つい最近、何処で読んだものかを思い出した。ユリウス・カエサルが書いたと言われている「ガリア戦記」の中に似たような記事があったのだ。
再度「ガリア戦記」を読んで確かめたが、それは第Y巻(B.C.53年)のエブロネース族の反乱を描いた部分であった。その年も、カエサルは各部隊をそれぞれの冬営地に送ったが、その内のエブロネース族の領内へ送った部隊がガリー人の反乱で壊滅的な打撃を被った。副将のクィントゥス・ティトゥリウス・サビーヌスとルーキウス・アウルンクレイウス・コッタがエブロネース族長のアンビオリクスによって殺され、部隊も壊滅状態に陥ったのだ。それと知ったカエサルは、直ちに討伐に赴き、最終的には味方の損害を避けるため、アンビオリクスとは同じケルト民族(当時の表現では“ガリー人”ということになるが)である他の部族がアンビオリクスを討つように仕向けたとある。
紀元前の出来事とは思えない。人間は今も同じことをしている。唯一の違いは“大義名分”だけであろう。“世界の覇者たるローマの威光を蛮族に示す”ことが“テロリストを一掃する”ということに変わっただけだ。だが、実際には、“自由と民主主義の旗手たる大国の正義を世界中に喧伝し、その影響力を拡大する”ことが目的のようである。しかも、影響力の結果は必ずしも“正義”とは限らない。もっと卑近な“経済”に落ち着くかもしれない。
全てが私の思い過ごしであればいいと心から願う。だが、あらゆる現実の出来事やあらゆる歴史上の経験が、人類の更に危険な領域への進出の可能性を示唆しているように思えてならない。如何に“新規の”試みが過去の焼き直しであっても、現在まさしく生きて右往左往している私たちにとっては全てが初めての経験なのだ。歴史に学び、想像力で鍛えられた知性が最悪の選択から人類を多少はましな方向の選択へと導いてくれることを期待して止まない。
停滞した社会では個性的な指導者が人気を博す。しかし、個性的とは、実のところは独善的である場合が多い。民主主義は単純に個性を礼賛したりしない。民意は没個性的で有り触れたものに落ち着くことが多いのである。強烈な個性より凡庸ながら落ち着いた常識が勝ることも知らなければならないだろう。例えば、景気の停滞など放っておけばその内に脱却できる。市場経済では投資家が停滞を放置しないからだ。カネが動く兆候を機敏に捉えては投資に走る。投資家は投資しなければ投資家ではないのだから、これは当然のことだ。タイミングが合えば、政治の世界とは関係なく経済の世界は動き始めるということなのだ。しかし、うっかり経済の建て直しを政治に求めると、没個性的な政治家が今まで手控えていた多くの国民には不利な施策を“個性的な政治家”が実施する口実にされてしまう。経済の復興の手段はそれしかないと自信満々に断言されると、弱気になったものたちは極めて素直にその言辞に従ってしまうのだ。
収束点のない議論だと批判されそうだ。その前に纏めを書き連ねておこう。最も基本的なことは、人は歴史的な流れの中で培われた意識しか自らの基本にできないということである。次に、人の意識は地球上の生命体の常として緩やかな進化しか遂げられないということも知らなければならないだろう。そして、最後に、だからこそ人は人として持っている感性にそぐう理解を積み重ねることによって共通の概念を確立しなければならないのだ。
人類というものは人類自身が考えているほど賢い存在ではない。その行動の大半は単純な反射行動の連鎖に過ぎない。知的な精神活動もまた、歴史的もしくは地域的な制約から完全に解放されることは期待できない。確かに、全ての人類は単一の生物種である。コーカソイドもモンゴロイドもネグロイドもオーストラロイドもカポイドも同じホモ・サピエンスの中のちょっと変わったグループに過ぎない。だが、歴史的な隔たりや地理的な隔たりを埋めるのは決して容易くはない。しかし、同時に、それが不可能ではないという信念が揺らぐこともないのだということも強調しておかなければならないだろう。私たちは全て同じ種族に属するのだから、必ずや相互理解は実現する。人類は予測不能な紆余曲折を経ながら然るべきゴールへと向かっているのだ。
日本人の遵法精神もそんな大きな人類の意識の収束過程の中で理解したいものだ。自国の歴史の所産としての未成熟な部分を全く異なる文化の中で確立された概念や制度で埋めていくことも決して不可能ではない。だが、それが途轍もなく困難なことなのだということも承知しておかなければならないであろう。特に、歴史的に育まれてきた地域共同体の意識が完全に崩壊し大多数の国民から支持される社会規範を失ってしまった我が国では、新たな秩序を作り出すことは実に困難な大事業なのだということを自覚しなければならない。為政者たちがそれをどの程度認識しているのかは大いなる疑問の中にある。
私は政治の場とは異なる場から秩序の回復が実現されるだろうと予想している。それが何であるかは未だ分かっていないが、幅広い知識と深い考察を常としている人々による運動が原動力になるだろうと思っている。その昔、生態学者は環境問題から逃げていたが今では積極的に関与している。混乱状態を利用しようとする腹黒い連中を抑えこみ、真に有徳の有識者が動き出すことを予感し、また、心から期待している。
(2004年6月2日)
ここをクリックするとこのページの最初に戻ります
「ホエイパウダーって何だろう?」に始まって
以前、渋々ながら通わなければならないスーパーマーケットで、暇を潰すために加工食品の成分表示などを丹念に読むことを述べた(「スーパーマーケットの暇人、暇にまかせて物申す」、2003年9月2日)。その毎週欠かさず行っている習慣(最早、習癖というべきかもしれない)の中で、最近気付いたことがある。乳加工品の原材料欄に“チーズホエイ”とか“乳清蛋白質”とか“ホエイパウダー”とかと表記されている製品が矢鱈と増えたような気がするのだ。このような乳清を原料にしているらしい乳製品など、やや覚束なくなってきた私の記憶ではあるが、つい先ごろまで見たことも聞いたこともなかったと思う。乳加工品の原料となる粉末乳製品は専ら脱脂粉乳であったように思うのだ。
さて、その“チーズホエイ”とか“乳清蛋白質”とか“ホエイパウダー”という物だが、多分ほとんど同じものだと思っている。ホエイ(乳清)というのはチーズを作るために乳を凝乳酵素あるいは酸で処理した後の上澄み液のことだ。因みにチーズの原料となる固形物(凝乳)の方はカードと呼ぶ。従って、“チーズホエイ”を文字通りに理解すると、液体状の乳清そのものということになるが、チーズ工場以外で取り扱いの難しい液体を乳加工品の原料にしているとは考え難い。“チーズホエイ”も乳清を取り扱い易い固形あるいは粉末にしたもの、即ち、“ホエイパウダー”とほぼ同類のものだと推察するにはそういった理由があるのだ。それにしても、乳清製品を様々な表現で表示しているのは些か不可解である。
調べてみると、日本の法律では三種類の乳清製品を“乳製品”として認めていることが分かった。“濃縮ホエイ”と“ホエイパウダー”と“蛋白質濃縮ホエイパウダー”の三つである。“濃縮ホエイ”は乳清を乳固形分が25%以上になるよう濃縮して固形物にしたものだそうだ。即ち、固形物ではあるが粉末ではない。“ホエイパウダー”は乳清の水分を固形分が95%以上になるまで除去して粉末にしたものだ。“蛋白質濃縮ホエイパウダー”は乳清から乳糖を除去した後に“ホエイパウダー”と同様に粉末化したもので、乳蛋白質が15%以上、80%以下のものをいう。
となると、“チーズホエイ”とか“乳清蛋白質”という呼称は、日本の法律では乳製品としての乳清製品の正式名ではないということになる。強いて解釈すれば、“乳清蛋白質”は“蛋白質濃縮ホエイパウダー”のことで、“チーズホエイ”はただの“ホエイパウダー”のことだと想像できる。そこで、法律の枠から離れて更に調べてみると以下のことが分かった。“チーズホエイパウダー(CWP)”という言葉もあるにはあるが、通常取り扱われているのは“WPC(Whey Protein Concentrated)”と呼ばれているものだと判明した。しかも、業界人は乳清の粉末製品を何でも“WPC”と呼ぶ癖があるらしい。つまり、日本の法律に照らせば“蛋白質濃縮ホエイパウダー”が食品業界で専ら取り扱われている乳清製品だが、普通の“ホエイパウダー”でも“WPC”と呼び習わされているらしいのである。
ついでに、申し上げておくが、“蛋白質濃縮ホエイパウダー”は乳清から乳糖を取り去ってから粉末にしたものと法律では定義されているが、それは完全に乳糖を除去するという意味ではない。実際、蛋白質の含有量は15%〜80%と幅広く規定されている。牛乳中の乳糖量は蛋白質量の1.5倍だから、この大きな蛋白質含量の違いをもたらすのは乳糖の除去率に他ならない。従って、“蛋白質濃縮ホエイパウダー”の中にも大量の乳糖が入っていることを承知しておかなければならないのだ。
ところで、チーズを取った残りに蛋白質がどれほど残っているのかと訝しく思われる向きもあろうかと思うが、乳清の中にも結構な量の蛋白質が残っているのだ。それは先人たちも承知していたようで、イタリアでモッツァレラチーズを作った後の乳清からリコッタチーズを作るということが行われていたことからも理解できる。リコッタ(ricotta)とはイタリア語で“再び加熱した”という意味で、乳清を再度加熱して蛋白質を凝固させるチーズの製法から名づけられたものだという。イタリア語の“リ(ri)”は英語の“リ(re)”に同じで“再び”の意であり、園芸好きの諸氏が好むテラコッタの植木鉢の“テラコッタ”は“素焼き”即ち“土を焼いたもの”ということから分かるように、“コッタ(cotta)”というのは“加熱した”を表す“コット(cotto)”の女性形なのである。
チーズの語源の話などどうでもいいので打ち切るとして、このWPCなるものが流行り始めた理由について考えてみたいと思う。が、その前に、粉末の乳製品が発明された理由について申し述べておく。実に単純明快である。乳は腐敗しやすい。だから、日本では乳の処理や加工については食品衛生法に加えて特別な法律が作られているのである。乳についてのこの小うるさい規制がないと、食中毒の件数は途轍もなく増えることであろう。さて、腐敗しやすいものは保存が難しい。保存し難いものは安定的に供給することも困難だ。だから、余った乳を粉末にして長期保存に耐えるようにする技術が開発されたという訳である。そのような牛乳まるごとを粉末にしたものを“全粉乳”と呼ぶ。スーパーマーケットでこの“全粉乳”を見掛けたことはないし、こんなものがあることを知らない人だっていることだろう。当然のことだ。“全粉乳”は決して安くない。同じ程度の対価を支払うなら、わざわざ粉乳を買わなくても普通の牛乳を買った方がいいに決まっている。だから、売っていないし、売っていないのだから一般の消費者に知られることもない。
一方、“脱脂粉乳”は私が子供だった頃の(即ち、半世紀ほども前の大昔ということになってしまうが)学校給食で日本でもお馴染みとなり、今となっては知らない人はいないことだろう。現に、何処のスーパーマーケットでも売っている。価格は、脂肪分は別にして他の成分をほぼ牛乳程度の濃度の飲み物にした場合、普通の牛乳よりほんの少し安いか同じ程である。もっと安くてもおかしくはないと思うのだが、ダイエットに必要で常に需要があるからだろうか、案外に安くはないのだ。脱脂粉乳はヘビークリームを遠心分離した残りの脱脂乳を粉末にしたものである。クリームの製造に際しては牛乳を温める、従って、脱脂乳は特に傷み易い。利用するには粉末化することが必須なのである。私は、だからこそ安くてもいいと思っている。作るのにエネルギーと手間は掛かっているが、クリーム製造の副産物に過ぎないのだ。
他方、WPCの価格はというと、脱脂粉乳よりは格段に安い。脱脂粉乳の蛋白質量は全重量の34%だが、これと同程度の蛋白質を含むWPCで、脱脂粉乳のおよそ6割程度の値段なのである。先に指摘した通り、脱脂粉乳もWPCも蛋白質以外はほとんど糖質であり、何れも脂肪は含んでいないので、乳加工品の製造にとって脱脂粉乳とWPCとに大差はないと言っても過言ではない。しからば、価格の安いWPCを用いない手は無い。そういうことでWPCが使われ始めたということなのであろう。
勿論、WPCが乳加工品の味にどのように影響するかも問題だ。食品業界にいる友人からWPCを入手してちょいと実験してみた。脱脂粉乳と味比べをしてみたのだ。その結果、WPCには脱脂粉乳特有の嫌な臭みがないことが分かった。ただし、ミルク臭さは脱脂粉乳以上だと思った。即ち、牛乳風の飲み物を作ると、脱脂粉乳のみの場合は非常に臭い。正しく昔の給食を彷彿させるのだ。しかし、脱脂粉乳に適量のWPCを混合して水に溶かすと、その臭みが消えて非常に飲みやすくなる(と私は思った。)という訳で、味の上でもWPCの使用に問題はなさそうなのである。
ここで、疑問が生じる。値段が安く味も悪くないのに、何故いままで使われなかったのだろうかという素朴な疑問である。だが、私は、調査するまでもなく、確信に近いこの疑問に対する回答を思い浮かべていた。それを確認するために、WPCを入手してくれた友人にその原産国を調べてもらった。答えは私の予想通りだった。日本に輸入されているWPCのほとんどはアメリカ産らしいのである。チーズで有名なフランスやイタリアやスイスではなく、また人口より家畜数の方が多い酪農王国オーストラリアでもなく、アメリカなのだ。
私は、WPCを開発したのはアメリカでそれを大いに販売したがっているのだろうと予想したのであるが、それは図星であったようだ。アメリカ国内での消費には限度がある。生乳(生の牛乳)の供給は安定しているし、需要も安定しているからだ。乳加工品の保存原料であるWPCを大量に必要とする下地はアメリカ国内にはないのだ。しからばということで、輸出先を探すことだろう。客として先ず目を付けられるのが日本であることは極めて自然な成り行きだ。酪農はさっぱり振るわないし、乳製品は高く売れる。もの珍しいものには飛びつく性癖があるし、付和雷同しやすい。日本でのプロモーションが成功したらびっくりするほど売れるに違いないと思われても不思議ではない。それが予想の根拠である。
事実かどうか詳しく調査した訳ではないが、私は単純に上に述べた考察は正しいと信じている。WPCの殆どがアメリカ産だという情報をくれた友人が参考にと送ってくれた資料が有力な根拠になった。The U. S. Dairy Export Council(アメリカ乳製品輸出協会)というアメリカの業界団体のニューズレターなのだが(英語版だけでなく日本語版もばら撒かれている)、このところ毎号に欠かさずWPCについての記事が大きく取り上げられている。アメリカの酪農業界がWPCの輸出に重点を置いていることは間違いなさそうなのだ。
勿論、仕掛け人は日本の商社だということも有り得る。南の島の南瓜にアフリカの蛸に東南アジアの養殖海老に中国の野菜や松茸、みんな日本の商社や商人の陰謀とも思える戦略で導入されたものだ。アメリカの業界団体は日本の商社の尻馬に乗っただけなのかもしれない。だが、日本の一般消費者にとってはどっちでも同じことだ。知らぬうちに外国産の食材が食卓を埋めるという現象に歯止めは掛けられそうにないからだ。
それもこれも日本の食糧自給率の低さに起因している。エネルギー量だけで考えても、国産の食料だけでは国民の半数以上が餓死することになるほど低いのである。江戸時代の人口は、250年の間ほぼ変わらず、約3,000万だったそうである。農業技術の向上を計算にいれても、1億を遥かに超える人口を国内で生産する食料だけで養うのは土台無理な話なのだ。この事実は、その昔に手近な中国大陸に植民地を求めた理由でもある。
狩猟採集時代には人口の増加はほとんど無かった。人類がその数において膨張を始めたのは農業が定着してからである。即ち、食料の安定的な供給と備蓄が人口増加の条件だったのだ。人口が爆発的に増加すると新たな食料生産の土地を求めて一部の人々は移動を開始する。逆に、気候の変化や人口の急激な増加で食料が不足した場合にも、より豊かな土地を求めて民族規模での大移動が起こる。それが地理的な制約で出来ない場合には人口の停滞、即ち、定期的な飢餓による大量死という現象に変わる。人類の歴史に見られた長期的な人口停滞や大きな民族移動という現象には食料問題が横たわっていると断言して間違いは無い。
その食料が、今や、尽きようとしている。誰が何と反論しようと、私はそう信じている。陸地の砂漠化を食い止めることはできない。地球の活動自体による海洋の再生産機能の働きより、汚染や生態系の混乱による海洋の死滅化のスピードの方が勝っている。人類に食料を与える地球が、陸でも海でも、その能力を失いつつあるのだ。傲慢なる人類は食料は自分たちが生産していると思い込んでいるが、実際に食料を生産しているのは太陽エネルギーと地球環境に他ならない。人はそれを利用しているに過ぎないことに気付かなければならない時期にきている。
とある大国の上空を飛行機で飛んでいるとき、地上の様子を眺めていて、思わず拳を握り締めていることにハッとしたことがある。無数の円が見えるのだが、緑色の円の他に赤茶けた円が見えるのだ。それらが遺棄された農地だと知らなければただの色違いの幾何学模様に過ぎない。だが、円の中心の井戸から汲み上げられた地下水で何年か作物を収穫した後、塩害で地力を失い見捨てられた末に全ての表土を失った人工的な砂漠だと知っている者には、それが未来の地球のミニチュアに見えてしまう。
畑や田圃を自分で掘ってみれば直ぐに分かることだが、作物を育てることが出来る表土部分はそれほど厚くはない。除草剤を撒いて放置しておけばものの数年で粘土と砂の混じりあった不毛の地になってしまう。減反政策で放棄された農地を見れば、私が大袈裟なことを言っているのではないことが理解していただける筈だ。その昔、人は農地を確保するために大変な労力を費やした。もともと農地に適した地域ですらそうである。ましてや、農耕に適さない土地しかない地域では信じられない労苦の末に農地を確保したのだ。
まだ訪れたことはないが、私が憧れるヨーロッパの西の果てにある未だに妖精が人と共に暮らす地域あたりでは、荒地を石垣で仕切り、そこにある石をハンマーで砕き、その上に海から大量の海藻を運んで敷き詰め、そこで羊を飼育しながら何年も気長に待つ地域があるという。そうすると、砕かれた石が完全に風化し、海藻のミネラルと炭水化物それに羊の糞の窒素分とで農耕可能な土地が出来上がるのだそうだ。人はそこまで努力して農業を営み、食料を生産してきた。勿論のこと、そんな地域の人々は自給自足の生活を送っていた。食料自給率が50%を下回り不足分はカネで賄えばいいと思っている国の人間には想像もつかない辛い暮らしであったに相違ない。
世界に比類ないほど豊かな土壌と水に恵まれ、同時に、四面を豊かな産物に恵まれた海に囲まれた国が、第一次産業を切り捨て、地下資源もないくせに鉱工業で生き延びようとした。幸いなことに、その目論見が大きく失敗することはなかった。しかし、国土は完全に荒れ果て、四海も死海へと変貌しようとしている。最早後戻りはできない。失われた農地は取り戻せない。海の生物が死に絶えることがなくとも、その体内には毒素が蓄積され生命連鎖の頂点に立つヒトの食料としては適さなくなりつつある。馬鹿げたチョイスだったかもしれないと思うのは私だけだろうか。
その昔、とは言えしっかりと記憶に残り傷跡もはっきりと残っている程の昔だが、とある食品メーカーが乳児用のミルクに毒物を混入させてしまったことがあった。非常に多くの人々がその被害に苦しみ未だにその苦しみから逃れることができずにいる。事故原因から指摘される特定の危険性とは別に、この事件からは、単一あるいは少数に限定されたリソースに頼ることの一般的な危険性をも学び取らなければならない。世界的規模の分業化など危険な幻想だ。農業立国だの工業立国だのという発想は捨てなければならない。全ての地域で(国などというせせこましいことは言いたくないので敢えて“地域”と表現する)、人類に必要な最低限の資源は自前で調達できるようにしなければなならいのだ。
理由は単純である。リスクの分散を図るということだ。先ほど述べたように、今や人類の食料は尽きようとしている。食料だけではない。地下資源、特にエネルギー資源も然りである(広義に解釈すれば、食料もエネルギー資源の一つだが。) 地球上の各地域で資源の自給自足体制を確立しておかなければ、ほんの些細な出来事、例えば気象の変化や地域的な突発事故で、全世界の人類が滅亡の危機に曝されることになりかねないのだ。地球上の人類はいずれ滅びる。だが、出来る限り長期に亘って人類は生きながらえるべきだ。一生物種としての本能的な行動と理解してもいいだろう。あるいは、宇宙における知的生命体の一つとして他の知的生命体に対する知性の継承という義務と考えてもいいだろう。理由など何でもいい。とにかく、出来る限り人類は存続し続けるべきだと考える。
こんな馬鹿な種族はさっさと滅んだ方がいいと仰る向きもあるかもしれないが、そんな意見には同意しかねる。生物の進化は偶然の積み重ねをもって必然の方向に向かっている。どんなに馬鹿げた種族でも、また、たとえ神の悪戯と思えるような偶然の所産であっても、ここに在る以上は必然的な存在だと考えるべきだ。私たちには生き抜く義務がある。生命の尊厳に対する義務がある。
・・・・・勢い余って、ここまで書いてしまったが、ワイングラスを片手にして一服してみると、些かトーンが落ちてくる。人と人とが殺しあっている。あっちでもこっちでも武器を捧げて信ずるもののために自らの死と敵の撃破を誓っている。「皆で生き抜こうよ」なんて言っている自分が世界から離反しているかのような印象すら受けてしまう。そうは言ったが、ここで誤解していただきたくないのは、私は決して俗に言うところの平和主義者ではないということである。というのも、私には“平和”という概念がいまいち理解できていないからである。“平和”とは“穏やかで変わらないこと”とか“戦がないこと”らしいが、人類にそんな有難いことがあった例(ためし)はない。いつも生存の危機に曝されていたのだ。たとえ支配者が安穏としていても、そんな時には被支配者は塗炭の苦しみに喘いでいた。現在も“飽食の時代”などと評せられてはいるが、世界的な規模で見れば大勢の人々が餓死しているし、また何度も繰り返すが、地球上の食料は尽きんとしているのだ。
“平和”というのは人類の願望の中にのみ存在し、実際には存在したことのない架空の世界の概念だ。だからこそ、私は強調したい。人と人とが殺しあうことはないと。賢く成り切れない人類は、繁栄への道だと叫びつつ自らを滅亡へと導きつつあるのだ。小さなグループ同士で殺しあっている場合ではないだろう。人類は数え切れない紛争で殺しあってきた。そんなことはもうお終いにしよう。世界中の生物種が少しでも長く生き永らえるように努力しよう。私はそう叫びたい。少なくとも私だけはそう叫ぼう。
はて、何の話をしていたのだったかな? 左様、WPCの話が、いつもの悪い癖で、あらぬ方向へと展開してしまったのだった。これは困った。どう締め括ればいいのだろうか・・・仕方が無いので駄洒落で落ちをつけよう。「皆さんWPCでも作りましょう! 当然、Whey Protein Concentrated のことではありませんぞ。World Peace Congressのことであります」とは言ってみたが、“平和”という概念がいまいち理解できていないと白状していながらこんなことを言っても嗤われるだけであろう。まぁ、本日はこんな尻窄みでご勘弁願いたい。ワインの酔いが程よくまわってきたことでもあるので・・・
(2004年5月20日)
ここをクリックするとこのページの最初に戻ります
タンポポ
今年は既にその盛りの時期を終えてしまったが、遅れ馳せながらタンポポについて書こうと思う。タンポポという言葉には何故か懐かしい響きを感じる。考えてみるに、幼い頃、地面一面を覆うように包み込む植物の中で転(まろ)び遊んだ記憶は強烈で記憶にこびり付いている。一つには、そのためではないかと思う。
今は昔の光景になってしまったが、刈り取りの終わった田圃にはレンゲの種が蒔かれ、春には田園地帯一帯が赤紫色に染められた。そのレンゲの園は子供たちの恰好の遊び場で、その中に入り込んでも農家の人たちに叱られることなどなかった。因みに、昨今あちこちを赤紫に埋めているのはカキドオシである。ハーブ愛好家はグラウンド・アイビーと呼ぶ。和名も英名も発想は同じで、その名が示すように、障害物をものともせず地面を覆っていく繁殖力の旺盛なシソ科の植物だ。
田圃と異なり、ただの草地は、一面が黄色の世界であった。それは降って湧いたように一斉に咲き誇るタンポポの絨毯だった。そんな中にもイヌノフグリやオオイヌノフグリの小さな空色の花が遠慮がちに散在していたが、それは背景の彩りにすぎず、圧倒的に大きなタンポポの花の黄色が視界を支配する世界であった。レンゲの赤紫色より遥かにくっきりと浮き立つ鮮やかさは春の野原では何物にも勝ると思う。その脳裏に焼き付いた光景は確かに懐かしさの原点だ。
やや成長して、タンポポが“蒲公英”という三つの漢字で書き表されるということを学んだ時には大きな驚きに襲われた。“蒲公英”はどう考えてもタンポポとは読めない。「何故、大人たちは“蒲公英”をタンポポと読めるのだろうか」と悩むほどに考えたものだった。そんな奇妙な印象もタンポポに対する懐かしさの要因かもしれないと思う。結局は、あれこれ思い浮かぶ様々なことが全体としてあの懐かしさを醸し出しているのだと分析することになる。しかし、何と言っても、雑草でありながら色、姿、形が整っていることと、そうかといって華美に過ぎないさりげない様子であることが人の心を打つ第一の要素だ。これこそ他に抜きん出たノスタルジアを生む要因なのだと思う。
私が抱く感情と同じだとは思わないが、西洋でもタンポポは人の目を引くと見えてポピュラーなハーブの一種に数え上げられている。ハーバリストは“ダン・ディ・リオン”と呼ぶ。元はフランス語の“dent-de-lion”なのだろうが、英語でも“dandelion”という。“ライオンの歯”という意味と理解できる。葉っぱのギザギザが恰(あたか)もライオンの歯のようであることからの命名だろうが、確かに葉だけを見れば頷ける。しかし、全体としては、“ライオンの歯”といった凶暴とも理解できる印象の植物ではない。先ほど申し述べた通り、色、姿、形が整っていながら華美に過ぎない可憐な植物だと思うのだが、西洋人は全体より目立つ部分に注目する習癖があるのだろうか。
西洋人と東洋人の情緒に大きな差があることは既に指摘されていることであるから、タンポポの捉え方に違いがあってもおかしくはないだろう。が、味覚については大差ないようで、東洋人たる私も、タンポポの若葉のサラダは好んで食べる。また、薬効についても共通の認識がある。漢方ではその根である“蒲公英(ほこうえい)”を健胃剤あるいは泌乳剤として用いているが、健胃剤としての利用はハーバリストと共通している。ハーバリストは更にタンポポの葉を利尿剤として用いる。ポタシウムを豊富に含むからだと思うが、この利尿作用は古くから知られているようで、タンポポの別名としてイギリスには“pee in the bed”、フランスには“pis en lit”というのがあるそうだ。ともに“寝小便”という意味になる。さほどに強烈な利尿作用を有するとは思わないが、ポタシウムを多く含むことは確かだから確実に利尿効果は期待できる。
おっと、いつもの癖で話の主題が何処か遠くの方へすっ飛んで行きそうなので早めに軌道修正しよう。ここではタンポポの食用あるいは薬用における有用性を論じようとは思っていないのだ。私のタンポポ探しの話をしようと思っているのだ。タンポポなど嫌というほど生えている。今更、あちこち探し回るほどのものではないと嗤われそうだが、私が探しているのは今や古巣を失いかけている在来種のタンポポのことなのである。私が住んでいるこの北関東の地では主として“カントウタンポポ”ということになる。
雑草のことなど気にしていない人は「何のことだ?」と訝しく思われることであろうが、その筋の者にとっては結構重大な問題なのである。その筋と言っても怪しい筋ではない。この場合、バイオロジーあるいはその一部であるエコロジーに関心を持っているということだ。最近では、目にするほとんどのタンポポが外来種すなわち帰化植物である“セイヨウタンポポ”なのだ。多分私たちが子供の頃に摘んでいたのは“カントウタンポポ”や“カンサイタンポポ”や“エゾタンポポ”といった在来種だったのではないかと思うが、今や、それらは日本の国土の片隅へと追いやられているのである。
私は数年前に完全な浪人であった時期があった。その折、暇に任せて、自宅近辺の古い神社の沿革やタンポポの分布の調査に勤しんだことがある。骨折の後遺症で直ぐに痛みを発する私の足で歩き回れる範囲ではあるが、目にしたほとんどのタンポポは西洋タンポポであった。カントウタンポポは一株も見つけられなかったのである。しかし、僥倖に恵まれて、カントウタンポポ以上に珍しくなったシロバナタンポポを数株見つけることができた。その話は後ほどに回すとして、黄色いタンポポは全てがセイヨウタンポポだったのだ。私はがっかりして、その春以来、時間を掛けての在来種タンポポの探査を止めてしまった。
とはいえ、たまたま目にするタンポポの種類は必ず確認する。呆れるほどにセイヨウタンポポが蔓延っている。たまさかカントウタンポポを見つけたときは却って驚いてしまうほどである。しかも、カントウタンポポがそこら辺り一面に根付いていることはまずない。人の手が入っていないような古い畦道や川原の小さな斜面で一株二株見つけるのがやっとなのだ。繁殖力に大きな差があるため、人が穿り返す土地では先ずセイヨウタンポポが芽生えてしまう。それで、在来種は人手が入らない崖と言ってもいいような荒れた斜面などでしか見つけられないのだと思う。
そんなことは重々承知していたのだが、私の現在の職場近くにその条件に当て嵌まる場所があることに気付かずにいた。この春先になってそのことに思い当たり、手が空いたときに其処へ行ってみた。寂れた神社が小高いところにあり、参道が20段ほどの階段になっているのである。その斜面は結構急勾配で、まだ他の雑草が生い茂らない時期にはタンポポとスミレと思しき淡い紫の小さな花が多数見られる。いつも、慌しい通勤時に車で通り過ぎる場所なので調べていなかったのだ。
其処へ行って驚いた。いつも車窓から眺めていたのは全てカントウタンポポだったのである。総苞片に特徴があるので花を裏返せば一目でそれと知れる。私は急斜面のほとんどの株を確認したが、セイヨウタンポポは一株もなかった。斜面の下の道路の反対側にはセイヨウタンポポがあったので、決してセイヨウタンポポが避けた土地というわけではないようである。神社の敷地内で掘り返されるようなことがなかったのが幸いしたのであろうが、今時珍しいことである。少年時代には多数抱えていたが大人になってからは一つとして持つ機会のなくなった“自分だけ秘密の場所”を久々に得たと思った。大袈裟なようだが、それほどにエキサイティングな発見だっということである。
個人的な秘密の場所ではなく、公の天然記念物にでも指定してもらいたいところだが、たかが在来種のタンポポの群生場所では取り合ってもらえないだろう。琵琶湖の貴重な在来魚類ですら保護しきれずにグラックバスやブルーギルに食い荒らされている始末なのだから、タンポポではお話になりそうにない。
それにしても、帰化生物に在来種が駆逐される話が多すぎるように思う。世界中で人や物資が頻繁に且つ大量に移動する現代では、外来生物の侵入を防ぐことは困難だろう。半世紀も前の私の子供時代ですら、セイダカアワダチソウやアメリカザリガニは既に違和感のない存在だった。セイダカアワダチソウは弓矢遊びの矢に使ったし、アメリカザリガニはスルメで釣っては仲間内でハサミの大きさを競ったものだ。しかし、もはや限度を超えているのではあるまいか。日本の空をインコの群が飛ぶなんて想像もできないことだったが、それが現実の光景になってしまっているのである。確かに、外来生物の影響だけでなく人の営みだけで野生生物が激減しているご時勢である。凶暴な北アメリカ原産の魚がいない川でもアユは勿論のことイワナやヤマメを釣るのが難しくなってきている。そのため養殖ものを放流しなければならない時代なのである。外来魚であるニジマスであっても釣れれば釣り人は喜ぶだろう。しかし、私自身がそう思うのだが、インコの群と同様に、川や湖沼でその昔にはお目に掛かったことがない魚ばかりが釣れるのはなんとなく落ち着かないのだ。
川の河口付近ではボラやハゼなどが釣れ、下流から中流域ではコイやフナの他にウグイやハヤやオイカワがかかり、更に上流ではヤマメに出会い、険しい渓流に分け入って初めてイワナをものにすることができる。そういった図式が崩れ、コイを釣るつもりがソウギョを引っ掛けてしまい、ヤマメの代わりにニジマスが釣れる。湖沼ではもはやブラックバスとブルーギルしか掛からないほどだ。アメリカではちょっとした町にはハッチング・センターがあり、近隣の河川や湖沼にブラックバスやブルーギルを絶えず補給している。だから、最近の日本の淡水釣りはアメリカでの釣りのような感じなのだ。テレビの釣り番組でも、日本人アングラーが「フィッシュ・オン」とか「ビッグ・ワンです」などと妙な言葉を連発している。外国の釣りが好きなら当該国に出掛ければ宜しかろうと思うのだが・・・
致し方なく入り込んできたものなら諦めもつくが、意図的に導入したものを野放図に拡散させたり、個人的な目論見で不法に放流する行為には憤りを禁じ得ない。ウシガエルや俗称ジャンボタニシは食用として養殖されるはずであったものが、養殖池からおっ放り出されて広まったものだ。ブラックバスやブルーギルは何者かが不法に放流したとしか考えられない。こういうことを平然と行う連中でも、SARSや鳥インフルエンザや鯉ヘルペスと聞けば防疫対策を取れと大騒ぎするのではあるまいか。誰しも、己に直接的な被害を与えるであろうことには神経質になるものだ。一方で、自分の目に見えない被害については極めて鈍感なのである。
確かに、琵琶湖のニゴロブナが絶滅して鮒鮓(ふなずし)が食べられなくなっても日本人が絶滅するわけではない。そのことだけで全ての日本文化が断絶するわけでもない。しかし、世界的にも珍しいと言われるほど古い湖である琵琶湖とその環境で育まれた固有種である生物たちを損なう行為が世界的な犯罪行為であることを知らなければならない。同時に、この議論は琵琶湖のみに限られたことではないことをも知らなければならない。琵琶湖が特異な湖だから自然保護の対象として大きく取り上げられるだけで、本来の自然を出来る限り保存することはあらゆる地域で重要視されなければならないのだ。
古代人の多くは自然を恐れそれを神格化してきた。自然界の多様な相を神格化すれば多くの神々が生じる。その意識は現代にまで引き継がれていると考えなければならない。無神論者も歴史の子としてそのような民族宗教の影響から隔絶されることは有り得ないのだ。現在は一神教を信奉している人々も同様である。ユダヤ教とその系譜を受け継ぐキリスト教やイスラム教といった一神教は、信者数はいざ知らず、むしろ少数派の宗教なのである。今やヨーロッパはキリスト教一色であるが、ヨーロッパの基底をなすギリシャ、ローマ、ケルト、ゲルマンはいずれも元来は自然神を信奉する多神教を信じていた。具体的に論ずる余裕はないが、完璧にキリスト教化されたように見えるヨーロッパでも、古代のアニミズムやシャーマニズムの要素は脈々と生き残っている。世界中の人類の基調にあるのは自然への畏敬あるいは自然との一体感だと断じてもいいのである。
民俗学者や民間宗教の研究者から指摘されているように、古代宗教に根差す民族宗教が民族としての無意識の世界を形成しているのだとすれば、人類の大多数の個人の意識は自然によって支えられているということになる。個人であれ集団であれ、人格は意識とその対極にある無意識の無理のない融合によって形成されるものだからである。而して、その無意識を支配する自然を意識的にないがしろにするということは、即ち、意識と無意識の分裂を意味すると言える。
意識と無意識がばらばらになるというのは人格の破壊を意味するのだ。心理学を深くは勉強していない私なので偉そうなことは言えないが、フロイト流であろうがユング流であろうが何流であろうが、人格の形成とは己の意識の回帰点たる無意識の世界を捜し求める過程だという点に異存はないと思う。自然とはヒトが自らの存在と想念を委ねる集約点だと言ってもいい。だから、自然はあるがままにしておきたいのだ。回帰すべきターゲットが大きく変遷していたのではヒトの移ろいつつも保守的な思念がそれに追いつくことができないのではないかと恐れるのである。
これは余りに大袈裟な議論だろうか。私は空想する。ヒトのそう遠くはない未来を想像しているのだ。少数の人々が宇宙船に乗り込み地球を離れていく。彼らは人類最後の生き残りになるかもしれない。または、人類の生き残りを賭けた冒険の犠牲者にすぎないかもしれない。何れにせよ、彼らに未だ見ぬ行き先はあっても、帰るべきところはない。人類の文化の記録を全て携えていても、それを再現する環境は失ってしまうのである。運よく目的地に辿り着いたら、彼らはどのように振舞うであろうか。きっと、彼らの記憶と彼らが携えた記録にある地球を再現しようとするに違いない。彼らは高度に訓練された強靭な精神力を持つ人たちであろう。だが、その訓練で故郷たる地球を忘れることは有り得ない。そうでないと、彼らが保存した地球文化の記録そのものが色褪せてしまうからだ。彼らの個々の人格を一つに束ねる力は、故郷を再現するという意志からのみ生ずるように思う。少なくとも、現在ただいま地球上に生活している私には、そのようにしか想像できないのである。
時間軸を、この空想と同じように、宇宙的な時間軸に合わせてみるとどうだろうか。野放図に人工的な変更を押し付けられている地球は早送りの映像のように大きく変貌していることだろう。それは、私たちの個人的な時間軸では把握できないが、最終的には全く別の天体であるかの如き変化に相違ない。その間に世代は何度も交代するだろう。しかし、人類の集団としての無意識の世界はそう簡単に変化するものではない。特別なトレーニングを受けることがない未来の一般人は自分では理解できない人格の分離に悩むことだろう。
これは私の空想にすぎない。しかし、事実ではないと断言することもできないだろう。冒頭で「タンポポという言葉には何故か懐かしい響きを感じる」と述べた。単に年寄りが昔を懐かしんでいるだけだと片付けられたらそれまでだが、私の記憶では自分自身がもっともっと若かった時分にも同じような感慨があったように思う。上の議論の流れで表現し直せば、ヒトは自己の人格形成の過程を確認したがるのだと言えるのではあるまいか。私にはそう思える。しかも、さりげない自然の一コマがその端緒になることが多いように思う。理屈も屁理屈も抜きにしても、ヒトが自然を大きなものとして捉えていることだけは否定できない。そのように大きな存在は、理屈抜きでも、大切にしなければならないと思うのだ。
私にとって、タンポポ探しは自分自身を捜し求める行為だったのである。さて、その過程で見つけた、後ほどお話すると言ったシロバナタンポポのことだが、悲しい結果に終わってしまったのだった。シロバナタンポポはほとんど手入れをされていない畑の道路端に10株ばかり生えていた。砂と瓦礫の混ざった荒れ土が20cmほどの高さにぶちまけられたところにやや徒長した姿で咲いていた。手で引っ張ってみると簡単に引き抜けたので、4株ばかり抜いて自宅のプランターに移植した。枯れることなく根付いたようなので、忙しさに感(かま)けてそのまま放置していた。勿論、忘れてしまったのではない。
翌春、花茎が伸び始めていい季節になったので、様子を見ようとプランターを置いてあった筈の庭の片隅に行ってみると、なんとそのプランターがない。家人が雑草しか生えていないと思って前年の秋に処分してしまっていたのだった。私は悲しくもあり腹立たしくもありかなり長い期間不機嫌にしていた。やがて、それを見つけた場所に行ってみればまた手に入れられるかもしれないと気を取り直してその荒地に近い畑に行ってみた。すると、どうだろう。その年に限って、畑の隅から隅まで綺麗に耕されているではないか。瓦礫は取り除かれ、石灰で処理したらしい痕跡まであった。こんなことなら、全部引っこ抜いて直接我が家の雑草園に移植しておけばよかったと悔やんでも後の祭りである。
私の淡い期待に反して、その後、その畑にも我が家の庭にもシロバナタンポポが芽吹くことはなかった。自分自身を捜し求めるための春の観察をまだまだ止めるわけにはいかないようだ。
(2004年5月7日)
ここをクリックするとこのページの最初に戻ります
屁理屈倶楽部 倶楽部報その1=地球温暖化解消の妙案=
屁理屈は空想の世界とは微妙に異なるが、間違いなく両者は隣り合っているように思う。だから、空想家と屁理屈好きが集まって倶楽部を作ると面白いこと請け合いだ。妙な議論が思わぬ方向に発展し、ひょっとすると、何千何万という馬鹿話の中から破滅への道を確実に歩んでいる人類を救うヒントが得られるかもしれない。というのは極めて可能性の低い淡い淡い期待ではあるが、瓢箪から駒ということも有り得ることだから、否定し去る必要もないだろう。
過去に多くの例があるが、全うな理屈も世間から理解されないとキチガイの屁理屈だと謗られる。かの有名な数学者であるガウスは、世間には未だ自分の築いた概念を受け入れる下地が無いと判断して、自分の理論を小出しにして発表したそうだ。お蔭で、悲劇の天才たちの轍を踏まずに済んだという。また、その昔の空想家が思い浮かべた絵空事の多くが今や現実となっているではないか。火星人こそ襲来していないが、H.G.ウェルズの空想は最早空想ではなく現実のテクノロジーとして当たり前のものになっている。現代の屁理屈や空想が価値ある学説や技術だと認められる日がやって来てもおかしくはないのだ。尤も、私と私の仲間たちが作る屁理屈倶楽部でそんな高尚な話が出てくるとは思えないが・・・
まぁ、高尚でないにせよ、暇潰しにはなるであろうから、我が倶楽部のトピックスを機会あるごとにご紹介しようと思う。さて、今回はその第一回として、副題にも掲げた通り、“地球温暖化解消の妙案”についてお話しようと思う。勿論、我が倶楽部の一員の頭の中を過ぎった妄想の類から出発した話であるから単なる無駄話と思っていただいて間違いはない。科学的にその誤りを正しく指摘できるかどうか、パズルのつもりでお聞きいただければ腹も立たないだろうと思う。なお、この話は一種のホラ話なので、“である調”ではなく、例の川柳特集のような“ざっくばらん調”にさせていただく。語り手自ら“ホラ話”と認めてしまっては身も蓋も無いが、話し終わった後のブーイングに備えての防御的発言とご理解願いたい。
<背景>
太陽系の一惑星としての地球は、大きな宇宙の動きの中じゃぁ、間氷期にあるとされておりやすんで、はい。別の言い方をすりゃぁ、そのうち氷河期になって滅法寒くなるってことでがす。ところが、今は「地球の温暖化をなんとかせにゃならん」、「このままでは、極地の氷が解けて、海に沈む国がある」なんて危機感が高まってるんすよ。一見、宇宙の動きとは真反対の奇妙な議論のようではありやすが、よくよく考えれば妙チキリンではなく当然のことなんでがす。次の氷河期は、人類がどんな悪足掻きをしても、人類が滅亡するであろう未来よりもっともっと遠い未来に必ずやって来るんで、現代の人類が気にしても始まらない。ところが、地球温暖化の問題は、人類自らが作り出したフェイジックな問題で、しかも、今は未だ生きちゃぁいるがいつ死んでもおかしかぁない年寄りでも巻き込まれちまうってぇ切羽詰った問題なんすよ、これが。
でもって、誰がこういう飛んでもない問題を起こしたかって言うと、お互いに「お前さんだろう?」って指差し合わにゃならんのですな。左様、誰でもない、地球上の全人類が犯人なんでやんす。ちょいと角の酒屋までビールを買いに、歩きゃぁいいものを、排気ガスを振りまきながら車で出掛けるとか、再利用されることなく燃やされるだけのゴミをわんさか出すとか、快適な居住環境やオフィス環境のために冷暖房をバンバンかけるとか、森を無闇に燃やして畑にするとか、軽々に戦争起こしてお空が真っ黒に煤けるほど油田を燃やすとか、兎に角、人間が何かをしでかすってぇと直ぐに二酸化炭素が増えちまうんですよ。それで、特定の犯人ではなく不特定の“人類”ってぇ得たいの知れない存在が犯人だってことになるんでがすな。
「二酸化炭素が増えると何故地球が温暖化するんだ」ですって? 小難しい話をしたって分かりゃしないから、感覚的に説明しやしょう。あっしが学生の頃、ってぇこたぁ35年ほど前ってこってすが、東海道線の電車で東京に行ったことがありやす。そろそろ東京だって頃、ふと東京方面を見てびっくりしやしたねぇ。いえね、東京近辺の上空が薄暗いドームで覆われてるように見えたんです。所謂スモッグって奴でさぁ。微粒子も気体も同じでね、それを沢山排出してる場所をすっぽり覆うように澱むんですな、これが。でもって、其処がちょうど毛布で包まれたみたいにじんわりと温まるってこってすよ。
恐ろしいじゃありやせんか。東京23区だけでも結構広いってぇのに、地球上いたるところでプカプカプカプカ布団代わりのガスを出すもんで、遂にゃぁ地球全体がドテラかカイマキを羽織ったみたになっちまった。石川五右衛門じゃぁあるまいし、そんな格好で「絶景かな・・・」なんて気取ってる場合じゃござんせんぜ(歌舞伎をご存じない方にゃぁ分からない話かもしれやせんが、イメージを膨らませていただきとうござんす。)人間一匹、ちょいとした暑さで熱中症なんてもんでぶっ倒れるんですから、地球全体が温室状態じゃぁ逃げ場もありゃしません。それで、大問題だって大騒ぎが始まったんすなぁ。
<真面目な対策とその問題点>
そんな大騒ぎの中で、京都議定書ってぇものが出来やした。世界中の国が協力して地球温暖化の元凶である二酸化炭素の排出量を削減しやしょうってぇ合意ですな。結構なこってがす。が、ことはそう甘かぁなかった。国際間の取り決めは各国がそれぞれの国内で批准しなきゃ実効ある取り決めにはならない。でもって、これを批准しない国があるんすよ。しかも、大国が批准しないんだから話にならない。「そんな国は村八分にしてしまえ」ですって? 馬鹿なことを言っちゃぁいけやせんぜ。お殿様や庄屋様を村八分にできますかい? 逆立ちしたってできゃしませんとも。相手が大物だと無理も通さざるを得ないんでがすよ。人類も知的生命体としてはマダマダ初歩的な段階から脱しきれていないってことでさぁね。
京都議定書の通り、真面目な議論は「二酸化炭素の排出量を減らすためには化石燃料の使用量を削減しよう」ということに集中しているんす。分かり易く言えば、「エネルギーの無駄遣いをやめて、石油以外のエネルギー源を模索しようぜ」ってことになりやすな。ところがそんな単純なことでも足並みが揃わないってぇことなんすよ。大国が「うちはそういう訳にもいかないから、イチ抜けた」とそっぽを向いたってぇことでがすな。今まで、他国に先駆けて散々エネルギーを潤沢に使っておきながら、「まだ不足だ」ってゴネてるってことですぜ。地球を熱中症にした張本人が「暑くても我慢しろ」って無茶を言ってるといってもよござんしょう。
現実的にはそれもそうかもしれやせん。原子力エネルギーの利用についちゃぁ、それを取り出すために大量に発生する放射性廃棄物が溜まる一方で、エネルギーを作るって言うより、危険物を製造しているって言った方が当たってるでがんしょう? いやさ、それ以前に、核エネルギーの操作自体が本当に安全なのか保障されてもいないんだから困っちまう。太陽エネルギーの利用や風力発電も思ったほど普及しないしさ。燃料電池も安全で手軽な水素ジェネレーターの開発を待たなきゃ大きな飛躍は期待できないと思うよ、ぶっちゃけたところが。
だってさ、爆発するかもしれない水素を詰め込んだガスシリンダーを積んでる車に乗るなぁ嫌でやんしょう? 水素ガスを一杯詰め込んだタンクの上のガスステーションで「水素、レギュラー満タンね」なんて気安く言う気になれやすかい? あたしゃぁ嫌だね、まだ死にたかないもんでね。その昔、安くヘリウムガスを作ることが出来たアメリカがドイツに意地悪して分けてやらなかったもんで、ドイツの独裁者は水素ガスで飛行船を浮かべちまった。ヒンデンブルグ号ってぇ途轍もなくでっかい飛行船が爆発炎上したって話、知ってるでしょう? あれの二の舞は嫌ですからねぇ。
その、ヒンデンブルグ号のことでやんすが、自由の国アメリカが独裁者にヘリウムガスを分けてやらなかった気持ちも分からないではないし、ドイツの独裁者が水素ガスでも飛行船を飛ばせた理由も分からないでもない。兎に角、人間ってぇものは自分が信じたことが全てなんだ。ロジックなんてもなぁ如何様にでも作れるもんで、どんなロジックでも理屈が出来上がりゃぁそれが“正義”になっちまう。当人はいいが、あっちもこっちも正しくなっちまうと、間に挟まれた者が堪らない。それで、水素が爆発して焼け死んだんじゃぁ浮かばれない。波阿弥陀仏、ナンマイダァ、南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経。何でもいいから助けたまえ清めたまえと言いたくなっちまう。どう騒いだって、誰も助けちゃくれやせんがね。
さてと、そういうことで、袋小路に追い込まれた地球温暖化対策なのでありやすが、「押しても駄目なら退いてみな」とか「垂直思考より水平思考」とかいう訳の分からない“教え”がありやすように、考え方の基本をガラリと変えれば妙案も浮かぶものなのでがんすよ。その実例は以下の通りでやんす。
<屁理屈倶楽部ご推薦の妙案その1>
地球温暖化の防止は、真面目な対策では一朝一夕には解決しそうにないってことでさぁ。そこでさね、発想をガラリと変えて、大胆且つ実現可能な方策を案出しなければならねぇんでがすよ、人類は。でもって、こんなのはどうだろうか思うんでやんすが、聞いてやっておくんなさいな。地球が太陽からほんの少しでも遠ざかりゃぁかなり涼しくなる筈でやんしょう? だったら、地球の軌道をちょいとばかり変えりゃぁいいやな。「地球に大きなロケット推進機を幾つか取り付けて太陽とは反対の方向に地球を押しやればいい」って考えたお方ぁ、ブッブー、NGでやんす。地球は自転してるから、ロケットエンジンを噴射させられる時間帯に大きな制約があると思いやせんか? それに、何より、そんな大掛かりなプロジェクトはカネが幾らあっても追っつかないよ。小さな小さなロケットの打ち上げに失敗して関係者が青くなっているような状況じゃぁ、とてもとても実現させるなぁ不可能ってもんでがす。
今から発表する屁理屈倶楽部の妙案その1は決して簡単じゃぁないが、そんな大金は掛からないし、人類が心を一つにすれば実現可能なことだと思いやすよ。その方法たぁ、全世界の人が全員、大人も子供の誰も彼も、時刻を示し合わせて「一、二の三」でピョンと跳び上がるだけなんすよ。60億の人々が一斉に跳び上がるんすよ、一瞬とはいえ地球は軽くなる。そうでがしょう? 地球が軽くなりゃぁ、ああた、地球は太陽からちいっと遠い軌道に乗り換える。太陽から遠ざかりゃぁ、その分、地球の温度は低くなる。そういう理屈でさぁ。適当な気候になるまでピョンピョンするだけでOKなんすよ。問題は、地域によっちゃぁ真夜中に住民全員が起きてなくちゃいけないことと、ピョンと跳び上がる合図を送る音頭取りを探し出すことぐらいだぁね。とは言え、日本みたいに盆踊りの風習があって苦労なしで音頭取りが集められる地域はいいが、世界中に盆踊りがある訳じゃぁないし・・・・・なんて悩むこたぁないよ。こんな制約を克服するなぁ容易いこった。何たって、たったこれだけのことで、世界中の悩みが解消するんだから、誰だって協力すらぁね。心を合わせてピョンって跳ぶことだろうさ。
おや、もう反対意見が聞こえてきやすぜ。なになに、「ピョンって跳ぶのはいいが、全員がドスンと地上に戻ったら元の木阿弥だ」ですと? そりゃぁまた素人臭い言い分じゃぁあぁりませんか。よござんすか? 跳び上がるときゃぁ音頭取りの合図がありやす。だがね、地上に落ちるのは自然の成り行きなんすよ。学校で垂直跳びなんてやりませんでしたか? どれほど高く跳べるかは人によってマチマチなんすよ。左様、地上に落ちるときゃぁ皆ばらばらなんです。ってことは、一斉に跳び上がったときみたいな劇的な効果はないってことっすよ。お分かり?
はい、次の反論の方・・・はい、どうぞ。ふむふむ、「人間はでかい地球の付属物みたいなものだから、地球にくっ付いていようが離れていようが地球の重さに変化は無い」ってご意見ですな。では、逆にお訊ねしやすが、大きな鉄の部屋の重さを大きな秤で計ったと思ってくださいな。その箱に人間が一人入ったら、秤の針はどうなりやすかね? そうです、人間の体重分だけ針がちったぁー振れますよ。じゃぁ、その箱の中でその人がピョンって跳び上がったら秤の針はどうなります? そんなに、考えるこたぁありやせんぜ。人が箱に入ったら秤の針はその分余計に触れるんでやんすから、その人が箱から離れりゃぁ、ああた、秤の針は元に戻りまさぁね。はい、ああたの負け。
おっと、次なぁ鋭い指摘だ。「風船に水を入れて重さを計ると、(風船の重さ+入れた水の重さ)になる。水を空気と置き換えても風船だけより空気の重さだけ重くなってる筈だ」ですと・・・なるほど、だから、大気圏内の人間の重量は地表に付いていようが離れていようが同じことだって言いたいんでやんすな。ふむ、じゃぁ、お訊ねしますが、ああたも気圧ってもんを知ってるっしょ? 大気の重量による圧力ってやつです。ああたの議論をその気圧に当て嵌めると、飛行機が飛んでる真下は其処からちょいと離れた所より気圧が高くなってなきゃいけやせんぜ。飛行機だけじゃない。子供が縄跳びしてる運動場じゃぁ、その子供の動きに合わせて気圧がヒョコタンヒョコタン変わるってことですね?それじゃぁ気象予報士も大変だぁ。「今日は体育の授業で大勢の子供が飛び跳ねている地域では高気圧に覆われたり低気圧に覆われたりして天気が不安定になるでしょう」って予報するんでやんすかい? おやまぁ、黙り込んじまっちゃぁいけやせんぜ。
お返事を促すために、逆に、お訊ねしやすが、風船に空気が入ってると、空気が入ってないときより体積がうんと増えまさぁね。てぇこたぁ、アルキメデスの原理でその体積分の空気の重さだけ空気で膨らんだ風船は軽くなるってことですね? なら、その膨れた風船が空気中にあれば、その膨れた風船の重さは(風船の重さ+入っている空気の重さ)−(膨れた風船の体積分の空気の重さ)ってことになりまさぁ。で、(風船に入っている空気の重さ)ってなぁ(膨れた風船の体積分の空気の重さ)のことだから、結局、風船は萎んでいても膨らんでいても重さに変わりは無いってことになりやせんか?
困っちまいますぜ、そう寡黙になられちゃぁ・・・・・助け舟ですぜ。隣のお方が「風船内の空気は圧縮されてるから、その体積の空気より重い。だから、膨らんだ風船は萎んだ風船より、やはり重い」って囁いてますよ。でもね、こち徒の言い分はそんな事にゃぁ関係ない。あっしは、その風船の中で蚤が一匹跳ね回っていたら、跳ねる度にその風船の重さを計ってる秤の針が動くんじゃあぁりませんかって言ってるんすからね。おやまぁ、隣のお人まで静かになっちまって・・・・・
反論がなくなったところで、この計画の実行についてでやんすが、国連にたのみやすかい? それとも仕切り屋のブッシュ・ジュニア? ははぁ、やっぱり国連がいいってことですかい。まぁ、順当なご意見でやんすな。好戦的な軍隊が出張っても碌な事にゃぁなりやせん。軍隊は命令ばっかしで、音頭取りにゃぁなりやせんからねぇ。ところで、日本の自衛隊は軍隊なのにそうではないと言わざるを得ないって妙な問題が起こってますなぁ。いやさ、イラクの人質事件でさぁね。「日本人はイラクのために働いているが自衛隊は出て行け」っていうのが結論で、こりゃぁ、ああた、「自衛隊は明らかに軍隊だが戦はしていない。民間の日本人もイラク人に友好的だ。だけど、やはり自衛隊は米英に追随した軍隊だ」っていう滅茶苦茶に微妙な綱渡り状態の解釈で人質が解放されたってことですぜ。これで、全てが丸く収まったって考えちゃぁいけやせんやね。
やっぱり、“人道支援”は民間人がやらなきゃぁ嘘でしょうに。軍隊の仕事は人殺しと相場は決まってまさぁね。それが証拠に人殺しの武器を持ってるでしょう、軍隊は? あっしゃぁつくづく思うんですよ。その昔、士農工商の時代に、武士が刀ぁ持って闊歩してたなぁ“切捨てご免”が許されてたからでさぁ。そうでもなけりゃぁ、刀を持ってる甲斐がないってもんだ。そうでがしょう? ってこたぁ、ああた、武器を持ってるってこたぁ即ち「武器を使うぞ」っていう意思表示に他ならない。「寄らば切るぞ」なんて“人道支援”があって堪るもんですかね。
あれれ、地球温暖化の話ぁいってぇ何処へ行っちまったんでやんすかい? 皆が黙り込むから話が逸れちまったんですぜ。反対が無いってこたぁあっしの意見が正しいってことでやんすから、こりゃぁ是非とも国連に提起しなくっちゃぁいけやせん。どなたか国連関係者にお知り合いはいらっしゃいやせんか? おやおや、どなたも駄目でやんすかい。しょうがない。せめて、日本国の政界人にお知り合いは? ・・・ははぁ。「連中、選挙のときは腰を屈めるけどこっちが陳情に行くとそっくり返ってる」っておっしゃるんですね。それじゃぁ、当てにはならないってことだ。折角の妙案なのに、実現できそうにないってのは実に残念。いやはや、真にもって残念至極でがんすなぁ。
<屁理屈倶楽部ご推薦の妙案その2>
ちょいとばかり前の話が長くなっちまったから、次なぁ簡単に済ませやしょう。単純明快な方法なんでやんす。過剰な二酸化炭素を圧縮冷却すりゃぁいい。素人さんのも分かるように言やぁ、「ドライアイスを嫌ってぇほど作る」ってこってす。固体にしちまやぁ、ああた、悪役の二酸化炭素でも地球を覆うこたぁできやせん。しかも、ドライアイスは冷たいんす。出来上がったドライアイスでもって暖かくなった地球も冷やせるんですぜ。一石二鳥たぁこのこってす。二酸化炭素は、地球を包み込んであっためなくなるだけじゃぁなくって、逆に、地球を冷たくしちゃうんだ。願ったり叶ったりだぜ、ベィビー。
あれれ、其処に冷ややかな目付きのお方がいらっしゃいやすね? 言いたいことがあるなら、そんな目で見てないでおっしゃいな。ふむふむ、「二酸化炭素を圧縮冷却するにはかなりのエネルギーが必要だから、そのために却って二酸化炭素の放出を増やしてしまう」ってぇご意見ですかい? 流石は知識人、鋭いご意見でがんす。が、其処が考えどころなんすよ。先ず、必要なエネルギーは二酸化炭素の分離・圧縮だけでやんす。冷却にエネルギーは必要ないんでがすぜ。具合よくノズルから液化二酸化炭素を吹き出すと、蒸散熱で勝手に冷えちまう。勿論、一部は蒸散しちまうが、狙いの固体は苦も無く出来上がるって寸法でさぁ。
でもって、ここが正念場だから、耳の穴ぁかっ穿って聞いておくんなさいよ。二酸化炭素の分離・圧縮に使うエネルギーは全部太陽エネルギーみたいなクリーンエネルギーを使うんすよ。なら、何の問題もありやせんでしょう? 絵にすりゃぁ分かりいいっすよ。お日様の絵があって、地球に降り注ぐエネルギーの動きを矢印で示してありやす。矢印の先にゃぁ太陽電池か何かの絵が描いてあってさぁ、そこから出た線がドライアイス工場に繋がってる。ドライアイス工場の上空は澄み渡った青空で、働いてる人たちゃぁ防寒具姿ですぜ。万歳三唱しておくんなさいな。
おやまぁ、まだ納得できないって言うんですかい? ははぁ、「地球を冷やした途端にドライアイスは元の気体に戻るから、イタチゴッコだ」ってぇご意見なんすね? よござんしょう。なら、ドライアイスの半分を宇宙に捨ててしまいやしょう。それなら確実に二酸化炭素は減るでがしょう?「宇宙人がゴミの不法投棄を見逃さない」って、ああた、どんな宇宙人が地球を見張ってるってんです? まぁ、いいや。百歩譲って、宇宙美化委員会がうるさいとしても、捨てる場所に問題がなきゃぁいいんでやんしょう? あっしゃぁ無闇に放り出すつもりはありやせんぜ。捨てる場所は一箇所で、捨てたからって文句を言われる恐れの無いところでさぁ。
そうせっつかないで、直ぐに説明しやすから。そこは、火星でやんす。つい最近、NASAの探査機が調査したら、火星にゃぁ、ああた、水があったってことですぜ。てぇこたぁ、今でも地下に凍った水、ええ氷のこってすよ、その氷がたんまりあるに違いありませんや。その水を溶かしゃぁ、水になり、水が手に入りゃぁ簡単に酸素や水素ができちまう。そうでがす、大気が作れるんですよ。大気と水さえありゃぁしめたもの。人間が住めるんすからね。ええ、そうですとも。地球人の宇宙植民地が出来上がるってことでさぁ。
あれあれ、察しが悪いじゃござんせんか。火星に捨てたドライアイスがお日様に照らされるとガスに戻りやす。それが一杯になりゃぁ、ああた、地球じゃぁ都合の悪い温室効果を発揮してくれるんすぜ、しかも誰からも文句を言われないで。だって、火星人はいなかったんすからね。で、この温室効果で火星を暖めて地下の氷を溶かしてくれるってことですよぉ。これで、一石三鳥でやんしょう? 地球の二酸化炭素が減って、地球が冷えて、おまけに火星が暖まって居住可能な惑星に変身する。素晴らしい。実に素晴らしいことじゃぁあぁりませんか。あっしゃぁ我が倶楽部の発案ながら涙が出るほど感心しますぜ。
えっ、「何かがおかしい」ですって? そういう態度が地球の破滅を早めるんですぜ。できることは先ずやってみる。そういう態度が必要でやんす。だから、そういう曖昧な疑問は即座に却下です。ああたも、グズグズ言ってないで、“ドライアイス作戦実行委員会”にお入んなさいな。ええ、そんな委員会は未だ出来ちゃいませんがね、直ぐにでも屁理屈倶楽部が発起人になって作りやすよ。だから、ああたも準備して待っててくださいなってことですよ。こりゃぁ、急に忙しくなった。急いで実行委員会を作る算段をしなくっちゃぁいけやせん。ってぇことで、尻切れトンボで相済みやせんが今日のところはこれで失礼しやすぜ。うんじゃぁ、また・・・・・「やっぱり、何かがおかしい」なんて・・・・・世の中おかしいことだらけでがしょう? そういったことに較べりゃぁ、ああた、ドライアイス作戦はまともな部類ですぜ。そういうことで、改めて、バイチャ!
(2004年4月22日)
ここをクリックするとこのページの最初に戻ります
花より団子
三週間ほど前の日曜日に、年寄りを買い物に連れて行った帰り道でのことであった。なんと反対車線が普段ではお目に掛かれない程の車列で埋まっているではないか。何事かと訝ったが、直ぐに思い当たるところがあって謎は氷解した。近くの梅林への花見客が押し寄せていたのだ。私が「そうか」と独り言ちたと同時に年寄りもそれと気付いたようだ。年寄りが何事か言おうとする気配を察した私は機先を制した。「こんなに車が押し寄せてる処へは近づかない方が無難だよ」と言ったのだ。数年前のことだが、年寄りにせがまれてその梅林に行ったことがあるのだ。広大な梅林には違いないがただの梅畑なので駐車場があるわけではない。また、農道には先客が所狭しと駐車していて車を停める場所を見つけることができなかった。それで、スゴスゴと引き返したことがあったのだ。年寄りもそれを覚えていたようで、案外にあっさりと引き下がった。
それにしても、日本人の花見好きには脱帽する。やれ梅だ桃だ桜だと雲霞の如くに人が群れて花の名所へと集まってくる。そういえば、これを書いていて気付いたが、この季節はバラ科の木本(もくほん)に人は集まるようだ。これではまるでアリマキか毛虫だ。而して、この春先に、何故にして人はアリマキや毛虫のようにこれらの花木を目指して群れるのであろうか。それが普通だと思っている日本人自身はともかく、“花見”という文化がない外国人には真に奇妙な現象であろう。
単に日本人が花鳥風月を好むというだけで花見が盛んなのではなさそうだ。そうなら重陽の節句や十五夜にも菊や月の名所にもっと人が群がってもおかしくはない筈だが、花見ほどの盛況ぶりはうかがえない。素人考えだが、これほどの花見好きの理由にはもっと歴史的に根の深い事柄が係わっているのだと思われる。その昔の風習を思い浮かべてみると、卯月八日(うづきようか)が花見に似ていることに気付く。村中挙って山に出掛けて飲食し、山の神の憑座(よりまし)と伝えられる花を手折って持ち帰ったという行事である。私はこれが花見の原形ではないかと想像する。
また、この日、地方によっては田の神を向かえる神事が行われるのだそうである。いずれの行事も、同じ日に行われる釈迦像を香水攻めにする潅仏会(かんぶつえ、花祭ともいう)より遥かに古い習俗である。柳田国男の説に拠れば、山の神は即ち田の神でもあり、農耕の季節に山から田圃に下りてきて農作業が終わるとまた山に帰って行くらしい。だとすれば、卯月八日(うづきようか)の山での飲食は即ち山で行われた神を山から田圃に迎える神事の名残で、神事そのものは省略されてその後の直会(なおらい)だけが伝承されたものだと推定される。山で花見をすることのルーツは田畑で神を向かえる神事と同じだったと思うのだ。
勿論、卯月八日(うづきようか)は旧暦での話である。従って、気候は太陽暦での五月末ごろを想定しなければならない。いくら山中だとはいっても、桜や梅を愛でていたとはとても考えられない。躑躅(つつじ)や夏椿(なつつばき)のような夏近くになって咲く花木を観賞していたと思う。しかし、この花の下での飲食の習慣が、本来の祭りとは切り離されてもっと早い時期に行われてもちっともおかしくはない。田の神を迎えるのは農繁期に入る直前である。逆に言えば、これは農閑期最後の祭りなのだ。より手近で派手な梅や桜が盛りを迎えるのは未だ農閑期のことなのだから、田の神を向かえる春祭りは決められた時期に厳粛に行うとして、それとは別に梅や桜の花の下での宴会をやらかそうではないかと相談がまとまるのは極めて自然なことだろう。
さて、この考察そのものが当たっているかどうかは定かではないが、昔からの古い行事には必ず民族宗教による裏付けがあることは事実だから、まるっきり的外れということはないであろう。ということで、素人の民俗学的考察により、花見は山の神が田の神に変身する春祭りが一人歩きをして変貌したものだということにしておく。たとえ細部が間違っていても、花に何らかの神聖さを感じていたことだけは間違いないと断言できるだろう。卯月八日(うづきようか)に拘らないまでも、日本人の花見好きが遠い昔の土俗信仰により育まれたと推察することには少なからぬ妥当性があると断言して差し支えないだろう。
それにしては、今時の花見は余りに神様を蔑(ないがし)ろにし過ぎているようだ。上野のお山の狂乱振りは春の定番ニュースソースになっているが、その有様は見ているだけで恥ずかしくなる。香具師の遣いっ走りでもあるまいに、仕事をおっ放り出して縄張りの確保に狂奔するビジネスマンがいる。花は二の次で、周りの迷惑など顧みずカセットコンロでお飯事(ままごと)に興ずるOLがいる。カラオケセットを持ち込んで騒音を振りまく不届き者までいる。たまに花に執着する者がいると思えば、ただの酔っ払いが桜の枝を力尽くでへし折ろうとしているだけだったりする。「お花は神の憑座(よりまし)、即ち、神様が宿っているものなのだぞ」と叱り付けてやらなければなるまい。神様など実在する筈は無い。だが、大昔とはいえ、私たちの先人たちがそう信じていたという事実は尊重しなくてはならない。そういう意味で、存在しないとはいえ、神というものは尊重されなければならないのだ。
無神論者の私が忘れ去られようとしている神々を擁護するのは実に奇妙だが、神を信じているという人に限って伝統的な神々の真の姿を知ろうとしない現状では、これも致し方ないことなのかもしれない。無神論者は伝統的な神を文化の一部として尊重する。神や霊を信じる人々は己の現世利益のために神の姿を恣意的に変貌せしめて憚らない。だから、伝統的な神を擁護できるのは無神論者のみなのであろう。やれやれ、兎に角、神様とはやっかいな存在には違いない。
さて、良い子ちゃん振って“花より団子”の無頼者を非難している私だが、その私も実のところは“花より団子”の部類に属していると白状しなくてはならない。はっきりと申し上げるが、花見は嫌いなのだ。特に飲食をともなう伝統的な花見は大嫌いである。それというのも、都市部育ちの私が知っているのは窮屈な人混みの中での花見だけだからなのである。屋外での食事の醍醐味は雄大な景色と澄んだ空気が醸し出すのだと思っている私にとって、ゴミと埃と喧騒に包まれて食べる花見弁当は最悪のアウトドア食なのだ。食事中の情景に花があること自体は素直に受け入れられるが、無理やり花を視野に押し込むために食事に適さない場所へと連れ出されるのはご免蒙るということである。
それに、私の興味はそもそもが食べられるものやその他の実用に供される植物に向いている。観賞用の植物を嫌悪している訳ではないし美しい花は美しいと感じるが、食べられる植物を見ている方がより豊かな気持ちになれるのである。桜なら花よりサクランボ、梅でも花より梅酒、桃も当然のこと花より水蜜桃がいい。花壇より田圃や野菜畑を眺めているの方が心が和む。バラ園より薬用植物園の方に心引かれる。花屋より八百屋の方が輝いて見える。そんな私は異常なのだろうか。
私の祖母は敬虔なる仏教徒で、ことある毎に「法然様はの・・・」という語り口で始まる法話を聞かせてくれた。そんな祖母が墓参りをする際、花屋に立ち寄ることなどなかった。道端に咲く野の花を摘みながら歩き、それらを墓に手向けていた。私が幼稚園に上がる前のことだが、その光景は目に焼きついている。私たちにとって観賞用として栽培された花は極めて手近なものだが、考えてみれば、その昔には、観賞のためだけに育てられる“お花”というものは途轍もない贅沢品だったのではないかと思う。
今でこそ、記録的な不作と報道される年でも餓死者が出たという話は聞かないが、この日本でも、ひとたび飢饉に見舞われれば夥しい数の人が餓死する時代が長く続いていた。そんな時代だったら、人は観賞用の花を栽培する土地があるなら、迷うことなく食べられない花ではなく食料となる芋か豆を植えたことだろう。花を育てるなど殿様かとんでもない分限者の道楽でしかなかったと推察する。私の祖母が物心ついた時代には、花を愛でる心はあっても花を買うという発想はなかったのだろう。
山野に咲く野生の花は美しい。豪華ではないが正しく自然の彩りが映えている。山陰(やまかげ)でミズヒキの花を目にしたり疎林一面を埋めるカタクリなどに遭遇したときの心持を花屋で味わうことは絶対にできない。サトイモの花を不気味に色取ったようなマムシグサの花でさえ、一瞬はギョッとするものの、屹立した孤高の人に似たその姿を見れば健気な生命の息遣いを感じて心が落ち着く。“お花”を育てる余裕のなかった昔の人たちは、そんな野草の花の美しさしか知らず、また、その自然の美しさをこそ尊んだに違いない。
私は母親が作る花壇のある家で育った。だが、その花壇の様子は記憶にない。祖母が手折った野の花の記憶は鮮明なのに、それより新しい記憶であるはずの自宅の花壇の記憶は消えてしまっているのだ。私はやはり少々異常なのかもしれないと思わないでもない。ある種の遺伝子のマスキングがちょいと外れて、飢餓に怯える大昔の人類の記憶が無意識の中に甦っているのかもしれない。もしそうであったら、私はそれを異常だとは思わず、むしろ、自然に忠実であったヒトという種族の末裔としての誇りと考えたい。
現在私たちが浸っている先進国における“飽食の時代”を維持するということは、取りも直さず、人類の破滅への近道を選択するということだ。二酸化炭素の排出量の削減を謳った京都議定書に最終的に異議を唱えたのは発展途上国ではなく先進国の中の超大国であった。現在の経済水準を維持するには二酸化炭素を吐き出し続けなければならないと公言しているのだ。そんな大国の指導者たちは遠大な子孫への義務より卑近な有権者たちへのサービスを優先させているということになる。私はそうではありたくない。もしも私が人類の遠い過去の飢餓の記憶を無意識のうちに持っているのであれば、同時に、子孫が太陽系(当時の人にとっては“この世”)の存続する限り生きながらえて欲しいと願う先人たちの想いをも受け継いでいるとも期待できる。だから私は、私特有の“花より団子”の感覚を異常とは捉えず誇りと理解するのだ。
生物種に存在目的はない。だが、擬人的な表現を採れば、どんな生物種でも存在する以上は我が種を維持しようとするものだ。それが本能というものである。有権者へのサービスに腐心する超大国の指導者もその生物たるの本能を失っているとは思えない。ただ、小賢しいヒトの知恵がヒトには大自然を捩(ね)じ伏せる強大な力があるという幻想を抱かせているのだと思う。超大国が宇宙開発に熱心なのは宇宙植民地を狙ってのことかもしれない。地球が駄目になったら新天地を宇宙の何処かに求めようとしているということだ。不可能ではないだろうが60億、いや近い将来100億を突破すると推計されている地球上の全人類を宇宙の彼方へ送ることは不可能だろう。地球自体とともに多くの一般人を遺棄してエリートのみを避難させるということになるのは必至である。これが単なる妄想だとは思っていない。飽食の時代にあっては、地球までをも使い捨てにしたとしても、ちっともおかしくはないからである。
花見に話を戻すが、花見客が大騒ぎをした後に残されているのは大量のゴミの山である。食べ残しの食品、使い捨ての容器、空き缶に空き瓶の類などなど、ありとあらゆる種類のゴミが散乱している。世界の中には徹底的な資源リサイクルを目指している国もあるが、そのような国の人々が花見客のゴミの山を見てどう感じるのだろうか。そのゴミの山の前で、花見が日本の民族宗教に根差した伝統あるいは花鳥風月を愛でる伝統の一つだと説明したら、彼らは日本人をどのように理解するのであろうか。その結果が恐ろしくて、とても外国人とは話し合いたくないことだ。
昨今、“国際的貢献”などという美辞が声高に唱えられているが、その言葉の理解には余りに大きな幅があり、従って、見解の相違も大きい。金をばら撒き軍隊を送ることもその一つかもしれない。しかし、二酸化炭素の排出削減には努めないと宣言したような国のエゴで始まった紛争の後始末に協力することには大きな疑問が残る。一から十までご立派な個人も国も存在はしないだろうが、ご立派でないことの方が目立つ側にわざわざ我が身を置く必要はないだろう。
外交施策は“国益”が基本なのだから、その時の“国益”を優先させた判断こそが正しいというのが専らの判断らしいが、地球自体が危うくなれば国も地域もへったくれもありはしない。“国益”など糞食らえである。地球の滅亡を早める方向に向いている者に協力するのが“国益”だなどという論理は断じて成立しない。真にグローバルな発想で“国益”を語らなければ国際社会の理解を得ることはできないだろう。向日葵(ひまわり)が太陽を追うが如くに特定の大国に笑顔を向け続けてどうしようというのだろうか。
こんな大問題を語る以前に、大量のゴミのみを残す無作法な花見客を放置しているようでは、如何なる問題についても論じる資格はなさそうだ。私は20年も前に亡くなった祖母を未だに敬愛して止まない。彼女は花屋で求めた花束の包み紙の処置を案ずる必要のない生活を送っていた。ましてや、美しい花を神仏と共に愛でる行いにおいては塵一つ残すものではあるまい。彼女は常に大昔の僧である法然や親鸞と共にあった。そうなのだ、人は時を越えた思念の世界に生きることもできるのだ。それを単なる古臭い信仰と片付けてはならない。私自身は如何なる信仰も持ち合わせていないが、遠い祖先の自然への畏れを今の世において分かち合うことはできる。
花より団子。だが、観賞用の花木を愛でることを私は否定することはない。そのような余裕を持つことを理想の一つとしてもいいだろう。しかし、私自身は先ずもって命を繋ぐことの大切さと難しさを考えたい。私は危機感を持っている。今の世は“飽食の時代”などではない。“食い潰しの時代”と表現すべき末期的な状況にあるのだと。一方では、これが単なる私個人の思い過ごしであればよいと願っている。だが、どうしても人類が危うい状況にあるとしか考えられないのだ。花より団子、充分な農作物を収穫できる地球であり続けますように。花より団子、その昔には神々が宿ると信じられ畏怖されていた花木が無頼漢に荒らされることなく野の片隅で咲き続けますように・・・願いは尽きない。
私が敬愛し真の仏教徒であった祖母に育てられた私の父もまた敬虔な仏教徒であった。だが、その父に育てられた私は仏教を含め如何なる宗教をも信じていない。その理由はここで述べる主題からは懸け離れているので割愛する。ただ、信仰心とは別に、宗教に根差した行事はその本筋なり伝統を重んじなければならないことを弁(わきま)えるべきだと考えていることだけは表明しておきたい。私の“花より団子”というのは、山野の片隅に咲く花をこそ愛でる気持ちの表れなのだと、心静かにそれらを振り仰ぐ心根の表現なのだということを理解していただきたい。
(2004年4月3日)
ここをクリックするとこのページの最初に戻ります
日の出に四季を感じて大袈裟に物思う
物心付いてから大学を卒業するまでの間は、四季の変化の全てを身体全体で感じていたように思う。ところが、社会に出てからは、ほんの一部の事象で、それも五感の一部のみを使ってでしか季節感をることできなくなった。無理もないことで、早朝から深夜あるいは明け方まで実験室やオフィスに籠っていたのでは、外界のことはほんの短時間の通勤時間内にしか感じることはないのである。具体的には日の出の時刻と外気温と車窓から眺める少しばかりの景色だけということになる。それも、殆どのものが分厚いフィルターを通しての体感に過ぎない。
外気温の変化は否が応でも感じるが、自動車による通勤では、暑さ寒さを感じるのは瞬時のことになる。外気に曝されるのは建物と自動車の間を移動する間に限られるからだ。冬になれば寒くなったとは認識したものの、若い頃には真冬でもコートが必要だとは思いもしなかった。それほど短時間しか外気に触れなかったということになる。景色も然りである。朝日除けのサングラス越しでは若葉の緑も紅葉も鮮やかには映えない。サングラスを必要としないのは日の出前の薄暗闇の時間帯だけだから、景色など薄墨色の墨絵かクロッキーの様にしか見えない。端的に季節による違いを感じられるのは唯一日の出の時刻である。一年を通して同じ早朝の時間帯に通勤していると、ヘッドライトを点灯しなければならない季節とスモールランプのみでよい季節とすっかり太陽が昇っている季節の違いは極めて明確に感じることができる。
私はアメリカ資本のコングロマリットに勤めていたので、アメリカ本社の人たちとの電子メールの遣り取りなどのためにアメリカ時間を常に気にしなければならなかった。そういうことで、彼らが採用しているサマータイム制の時刻変更時期には、日本に居ながら自分の腕時計のワールドタイムの設定を切り替えることを怠ることができないという奇妙な生活をしていた。その当時は現実に流されていたので深く考えもしなかったが、その会社を辞めた今では、サマータイムの制度なんて実につまらないものだとつくづく思っている。理由は極めて単純だ。先ほど述べたように、忙しい社会人が掛け値なしで四季を認識できる唯一の指標である日の出の時刻の感覚をぼかしてしまうからである。日の出に合わせて時刻そのものを繰り上げたり繰り下げたりして季節に係わりなく日の出の時刻をほぼ同じにしてしまえというのは、余りに情緒を無視した乱暴な遣り方だと思う。
それを、時間を有効に使うための妙法だという。その言い分に一理も無いとは言わないが、季節感を大事にしたい者としては「そんなのは愚の骨頂だ」と大いに剥(むく)れたいものだ。日の出が早まると同時に日の入りは遅くなる。即ち、サマータイムの採用で日の出の時刻が季節による変動を受け難くなるとともに、太陽の下で活動する時間は大幅に長くなる。が、それは、取りも直さず、その分だけ日の入りの時刻が極端に遅くなってしまうことをも意味する。その遅れたるや季節の変化を感じるといった程度ではない。極地の白夜ほどではないが、誰もが面食らうほどに大きな違いなのである。その反映として、私の嘗ての同僚であったアメリカ人たちの愚痴の一つに面白いものがあった。それは、「夏場は家事労働で疲れる」というものであった。具体的には、会社が退けてから日が暮れるまでの時間が途轍もなく長いということで、その長ぁい時間を利用して芝生刈りや家屋整備作業などに精を出さなければ奥方に許してもらえないということである。アメリカでは職人の賃金がべらぼうに高いため、中流程度の家庭では外壁のペンキ塗りなどは家族労働で片付けるのが普通なのである。
勿論、家事労働から解放された日にはゴルフコースをフルに廻ることができるという利点もあったらしいが、ゴルフを嗜(たしな)まない私としてはそれを利点とは理解できなかった。「仕事で草臥(くたび)れた後でゴルフ場をテクテク一廻りするなんて嫌なこった」と思っただけだ。そうは思いつつ、価値観の違いだからゴルフ好きに文句は言わない。また、お天道様が顔を見せているあいだ目一杯活動するという点では時間を有効に使っていると認めない訳でもない。だが、散々動き廻って「おやまぁ、もうこんな時間だ」と大慌てで明日に備えて眠るなんて、忙(せわ)しなくていけないというのが本音である。先ほども言ったが、日が長くなったことで季節感に浸っている余裕が全くなくなるのは戴けないのである。
仕事をサボることはどの道できないし、時刻を繰り上げなくても日の入りは遅くなって活動時間は放っておいても増えるのだから、夏場も冬場と同じ時間制にしておいて、通勤時間帯に季節感を束の間ながらしみじみと感じていた方がいいと私は思うのだが・・・読者諸氏にはどのように思われることであろうか。あなたは“日照時間目一杯セコセコ派”? それとも、“束の間だけでもシミジミ派”?
さて、農耕民として文化を育んできた日本人は、古来、四季とは恵みをもたらすものと理解してきたと思う。また、国土のかなりの部分が照葉樹林帯に属するわが国では、農耕が始まるずっと以前の狩猟採集時代であっても、やはり四季を恵みの源と捉えていたに違いない。しかし、世界の中には、そんな風には思っていない人たちもいるようだ。ギリシャ神話によれば、ゼウスにより創られた女パンドーラとティターン神族の一人であるエピメーテウスとが最初の人類の始祖だということになっている。エピメーテウスというのはカウカソス山に繋がれゼウスの鷲に肝臓を突かれ続けているかの有名なるプロメーテウスの弟である。この人類第一号は、しかし、軽率なパンドーラの行為のために堕落してゆくことが運命付けられたのだった。
尤も、最初の時期は人類も善良にして穏やかであり、自然も乱されることがなかったので、世界は常春の楽園であったそうだ。この時期は“黄金の時代”と呼ばれている。しかし、やがて堕落への動きが見え始めて“銀の時代”になったため、ゼウスは春をぐっと短くして四季を作ったという。四季とは、言ってみれば、悪の本性を顕し始めた人類への罰だということらしいのだ。そのお蔭で、人類は暑さ寒さに耐えなければならなくなり、また食料も農作業に汗を流さなければ得られなくなったという訳である。牧畜で文化を育んだ民族特有の考え方なのだろうと推察している。
ことのついでに、ギリシャ神話の人類第一号のその後について述べておこう。“銀の時代”の次には“青銅の時代”、更にその次には“鉄の時代”へと進み、人類は手の施しようが無いほどに堕落してしまった。そこで、遂にはゼウスが起こした大洪水で滅ぼされてしまうのだそうだ。何とまぁ気紛れな神様であることか。自ら災いの種を蒔いておきながら、知らん顔でジェノサイドに及んだのだ。まぁ、神様は気紛れであって神様らしいのだから仕方ないとして、生き残ったのはプロメーテウスの息子とエピメーテウスの娘だけだった。而(しか)して、この二人が改めて新たな人類を創り出したということになっている。早い話が、現在地球上で右往左往している私たちは出来損ないの二番煎じらしいのだ。
さて、余分な説明が長くなったが、要するに、ギリシャ神話では、四季とは実りを与えてくれる有り難いものではなく、人をして実りを得るために労苦を厭わず働かしめる苦痛の根源だということになる。こういう理解なら季節感など煩わしいだけだろうから、私のように通勤時に束の間の季節感に浸っていたいと思う感情は「馬鹿馬鹿しい限り」だと軽くあしらわれてしまっても仕方なかろう。季節によって時刻を操作することなどお茶の子さいさいに違いない。だが、農耕民の末裔たる私の立場から言えば、「ギリシャ・ローマ文化圏に生まれてこなくてよかった」ということになる。決して西欧文明を嫌っているのではない。ただ季節の捉え方についてのみ比較すれば、単純にプラス志向である日本的な感じ方を好ましく思っているだけなのだ。
何事であれ、物事は情緒的に楽しくなる方向に考えた方がいいに決まっている。季節の移ろいを神の与えた試練のように考えるのは嫌だし、もし本当にそんな意地悪な神様がいるのならそんな神様には隠れてアッカンベーでもしてやりたいものだ。隠れて反抗的態度をとる理由は、あからさまに反抗の意思を示すと、意地悪な神様のことだからどんな仕返しを企てるか分からないからである。尤も、ゼウスのような神を想定するなら、全知全能なのだから、